鬼隠し編 其の四「歪」/綿流し編 其の壱「嫉妬」/其の弐「タカノ」

一定の面白さを保っています。もし原作を知らなかったとしても、きっと継続を視聴していたであろう出来。原作のプロモーションとしての役割のみならず、作品単体としての質も十分なものだと思います。とはいえ、決して対等ではないということも大方の人の感想から推測できてしまいます。アニメを見なければ原作もプレイしなかったという人は確かにいるんでしょうけれど、アニメで先の展開を知ってしまうことが結果的に原作をスポイルしてしまうという面もあって、難しい問題です。
アニメ版を観ていていちばん実感するのは、アニメでは決して表現できない、サウンドノベルだからこそ表現できる演出というのが存在したのだなあということです。もちろん尺の短さによる都合という面も多分にあるでしょう。けれど、ワンシーンにおける瞬間的な演出にしても何か決定的な差を感じてしまいます。それはたとえば視覚情報が限定されていることであったり、文章表示のウェイトの使い方であったりするんでしょうけど、ひぐらしはそういったサウンドノベル特有の演出を本当に上手く使っていたのだなあと。
昔、エヴァンゲリオンの最終話でフラッシュバックや極太明朝体の多用される印象的な映像を目の当たりにしたときは「こういう演出はアニメでしか出来ないだろうなあ」と表現の限界を感じたものですけれど、アニメーションが活字やゲーム媒体に対する純粋上位ではないのだと、今であれば思えます。で、結局何の話かと言うと、アニメでネタばれされる前に皆原作買ってプレイしましょうよっていう原理的主張でした。