『アリフレロ キス・神話・Good by』 - 作品世界を変質させるフィルタとしての中村九郎

アリフレロ―キス・神話・Good by (集英社スーパーダッシュ文庫)

 中村九郎さん二冊目。読者おいてけぼりな作風がろそろ快感になってきましたよ!

『ロクメンダイス』と異なり、一文を読んで引っかかったり、セリフが誰の発言なのか分からなくなるということはあまりありませんでした。また、物語を「プロット」として抜き出しても、ライトノベルのアベレージと比べてさほど特殊なものにはならないでしょう。

 変人奇人が当たり前のように登場するライトノベルという文化の中にあって、キャラクターの造型すら本書は決して逸脱していないかもしれません。ただし「語り」という点において、中村さんは他のどの作家とも似つかない独特のものを持っていると思います。

 小説にとって、「語り」はフィルタのようなものです。ストーリーを見るにしても、キャラクターを見るにしても、読者はまず「作者の語り」というフィルタを通す必要があります。だから「フィルタ」があまりにも特殊なとき、読者はその作品世界全てが異質であるという感触を持ってしまうのだと思います。

 ただあまりにも語りが独特すぎるので、その語りで「あの登場人物はなんてヤバいんだ!」と感嘆されてもピンと来ないということはありました。ヤバいのはあなたの語りというフィルタであって、とにかくそのフィルタを通すことで何でもヤバく見えてしまうので、ヤバい人がヤバい人に対してヤバいと驚いても両者の差がよく分からないんですよう……という。

 そういう意味で、「読者に凄味を納得させる力」という課題、これは他の普通の作家が抱えているのと同様に中村さんも抱えている問題なのだろうなと思いました。異質すぎて他の作家と同じような基準で測るのが憚られる中村さんですけれど、こういうところで共通点もあるのでしょう。

 隠喩が多層的に施されているらしく、一文一文は理解できるものの全体としての流れが把握できない……という点では、サミュエル・R・ディレイニーさんの『アインシュタイン交点』を思い出します。日本語で記述されているけど語りたい内容は日本人の文脈とは相容れない、的な。えーと、あとは初期のアンディー・メンテとかどうですか?

 ともかく、中村さんの語りは異質です。そこに書かれていることを完全に理解できなくとも、異次元に触れるという意味で十分に楽しめ作家ではあるのでしょう。ただ、もうひとつ上のレベルの読みとして、ちゃんと理解した上でこの人の作品に触れてみたいという思いもあります。道のりは遠そうではありますけれど……。