『魍魎の匣』

 ちみちみMoryo! 観てきましたよ。"みつしり「ほう」"と言うだけでだいたい意味が通ってしまう、京極さんの初期傑作の映画化作品。前作未視聴、原作は三年位前に読んだけどだいぶ忘れてました。

 京極堂さん、関口さん、木場修さん、榎木津さんといった主な面々は、原作とは微妙に異なるイメージで描かれていました。原作の関口さんの情けなさの半分くらいが、京極堂さんと木場修さんに割り振られた感じです。

 関口さんをやたらと蔑ろにしまくる京極堂さん、謹慎中でふてくされてやさぐれる木場修さんのダメっぷりは、共にコミカルに描かれています。関口さんは多少饒舌になって周囲からの酷い扱いに反抗を試みるのはいいんですけど、結局相手にされなくて相変わらずの情けなさを見せてくれます。

 そんな中で榎木津さんだけ、原作の傍若無人さを引き継ぎつつも奇矯な稚気が抜け、一人泰然とした態度を保っていたのが印象的でした。久保竣公さんとの因縁も絡み、やや砕けた雰囲気になった京極堂さんに取って代わって軸のぶれていない役回りを演じていたと思います。

 登場人物の造型、全体的にコミカルな仕上がりや、ラストの匣館のメカメカしさなど、どう見ても「原作を忠実に映像化する」というタイプの作品ではありません。なんかロケ地中国だそうですし。

 でも原作の内容自体はしっかりと把握されているようで、そこからあえて半歩ずれた違和感を与えてくる絶妙な換骨奪胎の手際は感じました。OVAジャイアントロボ」とか、北方水滸伝的な趣向と言っていいかもしれません。

 ただその分原作未読者を振り切ってる感もあって、一回でお話の繋がりを理解するにはかなり神経を要しそうでした。情報量がぎりぎりな上に、それらが矢継ぎ早で示されるので視聴者の処理がおっつかないという感じ。細切れに連なる情報の細い糸を辿っていくのは楽しいし、二回目以降の視聴が楽しくもなりそうでしたけど、特定の嗜好を選ぶ代わりに特定の嗜好を切り捨てなければならない難しいところです。

 匣館に入ってからは、映画的なスペクタクルが描かれ始めます。つまり演出の規模が派手になるんですけど、その代わりに物語自体の情報密度が薄まった感はありました。ここまでは必死に情報を追いかける見方をしていたので、「派手な映像を楽しむシーン」という急な切り替わりについて行けなかったところはありました。

 冒頭の音楽がいちばん印象に残っています。女優・柚木さんが榎木津さんに探偵依頼の説明をしている図。頻繁に切り替えられるシーンでぶつ切りに語られる情報は今後の展開を考えればかなり不穏なものなんですけれど、そこで流れるBGMはなぜか『AIR』の夏影を髣髴とさせる穏やかな曲でした。それはもう、心を締め付けられるくらいの穏やかさ。

 この奇妙なギャップから、これから訪れる不幸へのなんとも言えない物悲しさを感じてしまいました。まあこの件については、私が勝手に『AIR』のイメージに引きずられたというごく個人的な体験になってしまうんでしょうけれど。