『GUNSLINGER GIRL(2)』
女の子が酷い目に遭う作品は数あれど、その状況に対して女の子が幸福を感じているというのは希有なものです。行動をもって反意を示す、精神的な鬱屈を抱えつつも黙々と従う、諦観によって現状を受け入れる、などの程度の差こそあるでしょうけど、そこには何らかの形での反抗や屈折の痕があります。
でもこの作品では女の子側の抵抗というものが一切なくて、そこが最も特殊なところなのかなと思います。洗脳を施された彼女たちは幸せの中にいて、担当官に構って欲しくて拗ねたりはしても「義体である自分」という現状自体をどうこうしたいと考えてる節が見当たりません。
この作品の対立軸の基本は「担当官⇔義体」です。また担当官に焦点を当てると、自分の仕事に葛藤を持つ姿も見えてきて、「担当官⇔社会」という構図も浮かび上がります。でも「社会⇔義体」という構図は一向に描かれる雰囲気がなくて、義体が担当官しか見てないことがよく分かります。
7話のラストは、テロリストが義体の女の子に興味を示すという珍しいシーンですけれど、当のテロリストは彼女らが義体であることを知りません。結局「ああいう子こそ私たちの守るべきもの」なんて皮肉もいいところの的外れな言葉が出てきてしまうわけで、この場面も大人側から見た「社会⇒義体」という一方通行の関係にしかなっていないのが印象的でした。
もしこの辺で何らかの動きがあるとしたら、比較的現状を客観視できている様子のあるトリエラさんかクラエスさんあたりなのかなと思いますけど、とりあえず早く続き読めという話ですね、はい。