『ソラリスの陽のもとに』

ソラリスの陽のもとに (ハヤカワ文庫 SF 237)

 ケールリング人間観という思想があります。これは「自然や神や宇宙や猫といった強大な存在が闊歩するこの世界にあって、人類は怯える弱者以外の何者にもなりえない」みたいな思想なんですけれど、本作に登場する「ソラリスの海」を見ていると無性にこのケールリング人間観を思い出してしまいました。

 惑星ソラリスの「海」は、それ全体でひとつの「生命体」(または、生命ともつかない何か)のように振る舞い、衛星の軌道を操作したり物質をコピーしたりという超常的な現象をも引き起こします。「海」は圧倒的な力を持った存在ですけど、作中で何よりも強調されているのはそれが人類にとって「理解不能」であることです。

「海」によって引き起こされた現象によって、主人公たちは極度のパニック状態に陥ります。最初彼らは「海の意図は一体何なんだ」ということを考えるわけですけれど、どうやら実はその発想自体が間違いで、そもそも「海」は人間の論理で説明できるような存在ではないんだという考えに変わっていきます。たとえば「人間を蹂躙する邪悪な敵対者」だとか、「人類を観察している接触者」だとか、そういった人間の持つ「文脈」の範疇外に「海」は存在するのです。

 理解すらできないものがあるという考え方は発刊当時は画期的なものだったんだと思いますけど、本書は「人間って卑小だね」というただそれだけでは終わらない作品でもあります。主人公の研究者は数々の出来事を経て「海」が「人間の理解を超えた存在」であることを認めて打ちひしがれるんですけれど、それでも「海」を見ることをやめはしません。ここで諦めるか更に立ち向かうことを選ぶかで、SF作家の性質は更に二パターンに分かれますね。

 私が読んだのはハヤカワ文庫版なんですけれど、何か最近これとは別の完訳版も出ていたらしく。知ってればそっちの方を買ったんですけど早まりました。なんか色々カットされてるらしいので、これから買う人はご参考に。