「勇気があればなんでもできる」という絶望

「要は勇気がないんでしょ?」は、「勇気さえあれば行動できる」という主張の裏返しでしょう。似たようなので、「人生は気持ち次第」という話もあります。これらの主張は、圧倒的に正しいと思っています。

 仕事を探す、女の子に話しかける、絵の練習を始める、明日から本気出す。ある分野でトップを目指す等の高度な目標を設定するならともかく、「最初の一歩」*1を踏み出すのにノウハウや資本は必要ありません。やるか、やらないか。勇気を出すか、出さないか。そうでしょう。全てはそれだけの問題であり、人生は気持ち次第でどうとでもなるのです。

 こういった主張を、福音に感じる人がいます。そういう人は幸せです。彼らは、人生をより良くするための切符を手にしています。後は、それを改札口に差し出すだけ。「勇気さえあれば行動できる」「人生は気持ち次第」という原則を胸に秘めて、どうぞ充実した人生を歩んでください。

 でも私は、「勇気さえあれば行動できる」という主張に絶望を感じます。「人生は気持ち次第」という原則の圧倒的な正しさを確信しているからこそ、私は世の中がどうしようもない袋小路だと思うのです。

 だって、どんなに苦しい思いをしていても、どんなにそこから抜け出したいと思っていても、「気持ち」だけは自分の意志でどうこうすることはできません。今こそ行動する時だと理性で理解していても、「勇気」だけは思い通りに*2言うことを聞いてはくれません。だから、「気持ち」や「勇気」で全てが決まるというこの世界の在り方が、私にはとても残酷なものに感じられるのです。

 人生は、「気持ち」次第でどうにでもなります。そして「気持ち」だけは、自分の意志ではどうにもなりません。「気持ち」が良い方に向いている人は、それでいいです。でも、「気持ち」が悪い方にしか向いていない人は、一体どうすればいいのでしょう?*3

 こういう話をすると、「気持ちが良い方に向くよう努力すればいいだけだ」と無邪気に言い切って、問題を解決した気になる人がいます。そりゃそうです、その理屈は圧倒的に正しいです。「貧乏人にお金を与えれば貧困問題はなくなる」という理屈と同じくらい正しいです。それは分かったので、次は意味のある話をしてください。*4

補足

 意図通りでない解釈をされやすい部分があるようなので、*1〜*4の注記(と強調)を追加。本文はいじってません。「どうにもならないと自分で分かっているのに、なぜわざわざこんな記事を書くのか」という反応を幾つかもらいましたが、それはこういった認識を少しでも周知させることが本記事の目的だからです。

*1:読み飛ばされやすいっぽいので太字強調。あくまで「能力内で可能な最初の行動を起こす、行動を持続させる」というレベルのところでつまずくという話なので、「勇気だけでは達成できない成果目標はある」というのは当然その通りです。

*2:「ある程度なら制御できる」的なコメントが多いので、太字強調しておきます。その点は折り込み済みですが、それで制御しきれない部分を問題としているので、本旨は同じです。また、その制御を誰でもできるわけではありません。

*3:どうするかというと勿論、現状に合わせて何かするなり、現状に合わせて何もしないなり、本人が何とか対処するしかないでしょう。当たり前の話ですが、どうもはっきり書いておかないと「それ以上考える気がない/第三者に頼っている」と読み違えられやすいようなので追記します。

*4:つまり「その話」は既に折り込み済みの状態。それを踏まえた上で「その先」の話をしなければならない段階にあるわけです。これも、「その話」を無視したり切り捨てていると解釈されやすいようなので追記。