『アンゲルゼ(1)(2)』

アンゲルゼ 孵らぬ者たちの箱庭 (アンゲルゼシリーズ) (コバルト文庫)
アンゲルゼ 最後の夏 (アンゲルゼシリーズ) (コバルト文庫)

 わけわからん運命のせいでわけわからん者どもとの戦いに巻き込まれる、普通だったはずの女の子の話。といっても、本格的なバトルは現段階では発生しておらず、本当の戦い至るまでの準備段階を丁寧に描き続けているのがこの2冊です。

上手すぎるストーリーテリング

 小説が凄く上手い、というのが一番の感想です。なにしろ、退屈するシーンがほとんどありません。『流血女神伝』と異なり、なにかと後ろ向きな性格の主人公なので、物語が走り出すまでは多少時間がかかったかしれません。けれど、一冊目の中盤くらいから後は、もうずるずるとお話に引っ張られていきました。まだ戦いすら始まっていない「準備段階」なのに、そんなことお構いなしの牽引力。

 登場人物の心境や関係性の変化、あるいは新しい重要情報の提示など。どんなシーンでも、作品の構図を僅かに転換するような変化が必ず盛り込まれています。シナリオを先に進めるために"必要だから"書いているシーンがないわけです。状況の変化が読者を惹きつける、というのは当たり前の話ではあるのですが、本作はこの要素の扱い方が本当に絶妙なのです。

 たとえば、主人公の女の子が誰かとちょっとした会話をするだけのシーンでも、そこで毎回のように「相手に対する印象の変化」が描かれます。並みの作家だと、シナリオ状の要所要所に大きなターニングポイントを設置しておいて「ここで嫌悪感が好感に転ずる」とかざっくり分ける程度になってしまうことも稀ではありませんが、須賀さんはここのところが非常に細やか。謎を孕んだ状況設定等も見事なものですが、なにより強い牽引力を持つのがこの心理描写の妙なのかな? と思います。

敷島少佐という人について

 本作の「嫌な大人」の役目は、上から理不尽な命令を下す役回りの「敷島少佐」がほぼ全てを背負っています。それ以外にも軍関係の大人は出てくるのですが、いずれも主人公に同情的で、少なくとも心情的には味方の位置にいます。そのため、実質彼のみが「大人の罪」を象徴するような状態になっているのが興味深いです。

 この敷島さんがまた面白い人です。初登場した時は「無機質で冷酷、表情も変えず機械的に人を傷つけることの出来るクズ(鬼畜眼鏡)」という感じの描写だったのですが、話が進むと実は「やたら中学生の色恋沙汰に首突っこみたがる話の分かるお茶目なおっさんで、皮肉混じりに笑いながら人を殺せるクズ(オヤジ眼鏡)」だったという面が描かれるようになり、いやでもどっちにしてもクズやんけー、という印象の遷移がたいへん趣深いところでした。(単に「いい印象」と「悪い印象」を往復するだけではない須賀さんの繊細な心理描写が、この辺でも力を発揮してるのかなと)

 少年少女にありえない業を背負わせるえげつない世界のお話なのですが、自ら憎まれ役を買って出ているような憎みきれないこのおっさんに罪の全てをぶん投げることで、かなり救われているところはあるんじゃないかなと思います。『イリヤの空、UFOの夏』で言うところの榎本ポジションというか。こういうタイプのおっさんって、罪を精算するためにラストあたりで凄絶な犬死にを遂げるような気がしてならないのですが、実際どうなんでしょうねえ。