#47「アクペリエンス・4」

この展開。パクリだトレスだインスパイアだとかの馬鹿みたいな揚げ足取りは放っておくとしても、コーラリアンとの融合という発想は『エヴァンゲリオン』の人類補完計画の延長上にある発想でしょう。まあエヴァでは『人類補完計画』に関してほとんど何の説明も解決もありませんでしたから、その部分を突き詰めてちゃんとした解を与えることはエンターテイメント以外の意味でも意義のあることだと思います。
ただちょっと気の毒だなと思ったのは、遠藤浩輝さんの『EDEN』です。以下『EDEN』の内容に触れますよ。ネタばれ注意。





遠藤浩輝さんは『エヴァンゲリオン』に強い影響を受けた作家さんです。たとえば『EDEN』のある巻のあとがきでは「エヴァで取りこぼした部分を補うためにEDENを描いているのだ」的なことをはっきり言明しています。『エウレカセブン』で言うところのコーラリアンは、『EDEN』の終盤に登場するクロージャーウイルスと同じ役割を果たしています。つまり両作品とも、「人類は別の知的生命と融合して個を捨てるか、苦しい道であっても個人は個人であることを望むか」という問題に直面しているわけです。『エウレカセブン』のスタッフが『EDEN』を意識していたとは思えませんけど、やってることはまさにそのままです。何でもかんでもエヴァのせいにするのはすごく気が引けますけど、まあこの場合は両作品ともこの点でエヴァに連なる作品だと見ていいでしょう。
『EDEN』が描かれ始めたのは当然『エウレカセブン』より以前のことで、その連載は現在も継続中です。ところが、この分だと間違いなく『EDEN』よりも『エウレカセブン』の方が先に完結してしまいます。つまり、もし「後続作品が先行作品と同じテーマを選んだ場合、より優れた/異なる結論を与えねばならない」という倫理があるとするなら、『EDEN』は『エヴァンゲリオン』に加えて『エウレカセブン』という新たな枷*1を背負ってしまうことになるのです。おそらく両方、全への融合の道を捨てて個を選ぶとは思うんですけど、その結論への過程をどう描くか。こうなると遠藤さんは大変だと思いますけど、できればエウレカセブンの後追いとか言われない良い結末を見せてもらいたいものです。

*1:私が知らないだけで、全⇔個がテーマの作品は他にもあるとは思いますけど。古典SFとか。