『忌憶』
祥伝社文庫から出ていた『奇憶』に加え、記憶に関する二つの短編を加えたオムニバス作品。作品間の登場人物が共通していて「著者初の連作ホラー短編」なんてオビに銘打たれてますけれど、そのことを用いて全体に大きく作用してくる仕掛けというのは多分ないです*1。もしくは私が気付いてないか。
「奇憶」
祥伝社版を一度読んでるので再読。
この作品の主人公は、滝本竜彦さんや森見登美彦さんの描く登場人物に輪をかけたようなダメ人間です。でも、滝本さんや森見さんが「自虐的な笑いの対象」としてあくまで共感的にダメ人間を描いているのに対し、小林さんの視線は徹底して突き放したものになっています。
彼らが何をしても駄目なのはこれこれこういう理由によるものであって、そういうことをしていれば悲惨な事態がえんえん繰り返されるのも当然の帰結である、みたいなことを、小林さんは一片の同情もなく淡々としかも無駄に理詰めな調子で語ってくれます。「笑い」という逃げ場すら存在しない分、きっと先述の二人の作品以上に攻撃力の高い作品だと思います。
「器憶」
腹話術の練習をしてるうちにアイデンティティクライシスに陥るお話。終盤近くまではごくごくオーソドックスで予想可能な展開が続きますけど、それをちゃんと面白く読ませてしまうストーリーテリングはさすが。例によって腹話術の説明や会話の応酬がやたら理屈っぽかったり、文体は平易なんですけど語りの角度が独特なのです。
ラストは一見すると超常的でオカルティックなオチですけれどですけれど、人形は宿主がキャラクターを決めて操っているという大前提を徹底すると、超常現象抜きの解釈も可能です。つまり《ネタばれ!!!》みたいな。
ところで凄くどうでもいいことですけれど、作中の腹話術人形が『極上生徒会』のプッちゃん人形でしかイメージできなくて内心えらいことでした。ぱやぱや。
「垝憶」
『メメント』とか『博士の愛した数式』とかでお馴染みな人にはお馴染みの前向性健忘症テーマの作品。一定時間で消えてしまう自分の記憶を保存するために拵えられたノート*2を巡った思考劇が、当の患者本人の視点から語られます。まず「あれ、自分にはどうして記憶がないんだ?」というところから始まって、ノートを読み込むことで自分の病状や状況を少しずつ理解していくという思考実験的なシチュエーション。
ここで繰り広げられる思考は相変わらず妙に理詰めで、予想外の新事実が次々導き出されていく様は息つく間もないという表現がぴったりです。出来事として大したことは何も起こっていないのに、「現状把握」の過程を描くだけでだけでどんどん読ませてしまうという、なんだか凄い作品でした。