『痾』

痾 (講談社文庫)

 この内容を「大人しい」と表現するのも人としてどうかと思いますけど、過去の麻耶さんの作品のカタストロフと比較するなら、本作はやっぱり「大人しい」そして「落ち着いた」作品だと言えるのかもしれません。事件の真相も、なんともまっとうなところに落ち着いています。(あれをまっとうと言うのも、人としてやはりどうかと思いますけど)

 麻耶さんの作品にいつもある嫌らしい後味の悪さを、本作ではあまり感じませんでした。嫌なお話であることは相変わらずなんですけれど、今回はそれを意図した者の「悪意」が強くは感じられません。まあ何か企んでる人は確かにいるんですけれど、主人公の本当の運命を決定づけているものはもっと上の方の見えないところにあるように感じられました。

 それこそ世の自然の理だか法だかが、主人公の運命を絶対的に規定しているのはむしろそういった存在であるように思われます。そこに「誰かの嫌らしさ」という動的なものはなく、「世界の自然な在り方」という静的なものに対する強い絶望、悲愴が感じられます。本作で焦点の当てられているのがそういった静的な「どうしようもなさ」だとすれば、お話として過去作のような派手さがないのも道理だと思えます。

「バナナの皮で足を滑らせて記憶喪失」というどうしようもないプロローグとか、「わぴ子」というどうしようもないネーミングとか、「見よ、東方は紅く燃えている」みたいなどうしようもないパロディとか。そういった意図不明のおちゃらけすら、本作の「どうしようもなさ」を補強するための演出として一役買っているように感じられます。主人公を取り巻く環境は時に不真面目なほどのうのうとしているのに、そんなのうのうとした環境によって主人公は追い詰められ、鬱屈を抱えていくのです。

 それにしても、今回のメルカトルさんは何だったんでしょうね。彼が胸の悪くなるような悪意を覗かせなかったことも、本作の「気持ち悪くはない」読後感に大きく関わっていると思います。よもや彼の行動に「心打たれる」ことになるなんて……とびっくりしたんですけれど、これすらも後々のシリーズで気分悪くなるための伏線だったりするのでしょうか。ああやだやだです。