「曖昧」と「抽象的」は全く違うという具体例

 この話を無理矢理書いてみます。

 たとえば、奇数とは何か、と説明したい場合。

 奇数とは、3や5や7や11などの数のことである。

 これが具体例。間違ってはいませんが、これだけでは十分な説明になっていません。なんとなく法則性は見えますが、1とか9とか-3とかはどうなの? とか、色々疑問が湧きます。この例だと、素数と勘違いしちゃう可能性もあります。

 3とか7とか13みたいな、綺麗に真っ二つに割れない尖った感じの数のこと。

 アバウトなイメージは掴めるかもしれません。でもこの説明では、誤った解釈を生む余地は多分にあるでしょう。ていうか尖った感じってなんやねん。こういうのを曖昧な表現と言います。

 

 n を整数とした時、2 × n + 1 で表せる数。

 奇数という数字全てに共通する性質を「抽象」し、過不足なく言い表した説明。この説明は、「奇数であるもの」と「奇数でないもの」の境界を明確に宣言していいて、そこに曖昧さはありません。理想的な抽象表現とは、こういうもののことを言います。


 つまり、抽象的な表現を正しく使えば、単なる具体例以上に"厳密"にものごとを言い表すことができるのです。具体例をいくら挙げても、それだけでは概念そのものを明確に説明することはできません。一方、抽象化とは、もともと概念そのものを説明するための方法です。

 何かものごとを抽象的に言い表そうとすると、解釈の幅のある曖昧な言葉を使いがちになります。その結果、内容まで曖昧になってしまう、ということはよくあることです。そういうのを、「抽象的だからわかりにくい」とは言いたくないです。抽象的な議論からそういう曖昧さを排し、厳密な抽象性を追求するために生まれたのが、論理学とか数学記号であるわけですから。

「あなたの話は具体的なのでわかりにくい。もっと抽象的に話してください」と言った数学者の話。「抽象」という言葉の指すところを理解していれば、これが決して笑い話でないのは理解できるでしょう。

id:trivial
「抽象的であることの例:質料を持たない純粋な三角形
 曖昧であることの例:料理下手なドジっ娘が握った三角おにぎり」

 これはきっと笑い話です。曖昧なおにぎりを生成しちゃう料理下手なドジっ娘かわいいです。