いかりこは笑っている

 いかりこは怒っている。いかりこの怒りは、この世の何者にも向けられない。いかりこの怒りはこの世が"このようにあってしまう"という不条理に対して、まさに世界の構造そのもの不整合に対して向けられている。世界の構造に対して向けるべき憎悪を世界の内容物そのものに対して向けるべきではないと、いかりこはその理性によって知っている。だから、いかりこはこの世界の何者に対しても怒りをぶつけることができないのだ。なぜ切実な意志は報われないのか、なぜこれほどの思いが伝わらないのか、なぜ偶然が本質を駆逐するのか、なぜ人々はかくも悲しくあらねばならぬのか。そのような看過できぬ思い、悲しみがいかりこの怒りの源泉である。いかりこは怒っている。その怒りの不可能性ゆえに、いかりこは今日もにこにこ笑っている。