著者の考えにまったく賛同できない名書にして珍書 - 高木徹『戦争広告代理店』

ドキュメント 戦争広告代理店〜情報操作とボスニア紛争 (講談社文庫)
 単行本版には「情報操作とボスニア紛争」というタイトルがついていました。その名の通り、「この紛争でモスレム人が被害者、セルビア人が悪玉という世論が形成されたのはPR企業の力だった」という内容。プロの手によるPR(Public Relations)が国際情勢にいかに大きな影響を与えるか、が本書の主題であって、ボスニア紛争はその一実例という扱いです。紛争そのものについての突っ込んだ記述はほとんどなく、そっちの勉強が目的ならWikipdiaとかの方がよっぽど参考になるでしょう。

『戦争広告代理店』なんて言われると、広告会社が国際情勢を影で操る陰謀論めいた印象を受けますけど、実際は堂々としたもので、別に隠し立ても何もしていません。本書の主人公であるアメリカの一流PR企業「ルーダー・フィン社」はボスニア政府とおおっぴらに、極めてビジネスライクに契約しています。分かっている後世の人間の目から見ると、よくもこんな見え透いた誘導を、と思えるのですが、実際当時の世論はどんどんモスレム人支持に回っていきました。一度世論が固まってしまうと。それに反することを言う人間は「悪を支持するのか」と袋叩きに遭うわけで、こういうえげつない光景はたしかに今でも目にします。まあ人ごとではありません。

 ルーダー・フィン社は「善のモスレム人、悪のセルビア人」という単純化した図式を演出したわけですけれど、本書は「PRを制する者が国際世論を制する」という、これはこれで単純した図式を提示しています。巻頭ページのセルビア大統領の紹介なんて「ボスニア紛争でのPR戦略の有効性に気づくのが遅れ、「悪玉=セルビア」の主人公としての役割を演じ続けることになっていく」ですからね。ミもフタもありません。これはこれで、「進研ゼミを始めれば全てが上手くいく宣伝漫画」じみた茶番の雰囲気があります。

 本書の趣旨は、現実を歪めて国際情勢すら左右するPR行為を"告発"するものではありません。それどころかまったく逆。日本人はPRの重要性を認識していない、PR戦略を駆使せねば今後の世界を生き抜くことは出来ない、倫理の善し悪しを考えている時間はもうない……というのが本書あとがきで述べられた結論です。これほど暗い問題をえぐり出す本を書いておきながら、最後に言うことがそれなのかと驚きました。よくもまあぬけぬけと。さすがTVディレクター、徹底しているなあとは思うのですが、やっぱり胸は悪くなりますね。上に倣って単純化して言うと、「ヤクザを根絶してしまうと海外から大量のマフィアが入ってきて防衛力がなくなり国土が荒れる」みたいな理屈を、当のヤクザ自身から諭されている気分です。「相手に負けないPR戦略を身につける」以外の自衛手段があるとしたら、個々人の情報リテラシを市民レベルで根本的に底上げすることだと思うのですが、それはそれで気の遠くなるような話でしょう。書かれている内容自体は名書といえますが、著者の考えにはまったく賛同できないという、なんとも珍しい経験です。ほんとう、暗澹とした気分になるご本でした。