「人それぞれ」という結論は無価値だが、前提として不可欠ではある話

 内容としてはタイトルが全て言ってるので、後は補足くらいしか書くべきことがないんですがー。

 ものの好き嫌い、価値観が「人それぞれ」というのは、当たり前のことです。なにか議論をするつもりがあるなら最低限押さえておかなければならない、「議論の前提」です。基本的すぎて、いちいち説明する価値もないようなことです。高等数学の教本で、四則演算の方法をいちいち解説しないのと同じです。*1

 だから、長々と意見を述べた挙げ句「つまり人それぞれということですね」という結論で終わる記事などを見ると、がっくりしてしまうという向きの話には頷けます。当たり前のことを言うために何をここまで文字数使ってるのだ、ということでしょう。「人それぞれ」というのは、何らかの議論の結論足りえない、ごくごく初歩的なことなのだと思います。

 ところが、「人それぞれ」が議論の結論足りえないつまらない考えであるからといって、「人それぞれ」という前提自体をないものとしてすっとばして論を展開してしまうケースが、これもまた多かれ少なかれ散見されます。「人それぞれ」は今さらあえて言及する価値もない、「語るに足りない」大前提ですが、「語るに足りない」というのは決して「無視してよい」ということではないのです。

 高等数学の教本が、その内容が難解であるのをいいことに、特に定義もせずいきなり通常の四則演算を無視した計算をはじめたらえらいことです。演算に関する新たな定義を宣言した上で論を進めるならともかく、いきなり何もないところから自分だけの定義を引っ張り出してその定義の中だけで論を終始させる、というのは、本人にとって筋が通っている可能性はありますが、外から見て何やってるのか分かりません。

「人それぞれ」という大前提を無視し、いきなり一段話を進めて自分たちの感覚の中で話を進めていくような論法にも、同じような難が言えます。なんか文章の書き始めから、自分と志を同じくする一部の人にしか向けられてない言葉ーみたいなのって、実際そこら中にごろごろ転がってると思います。議論の前提が食い違ったまま話がどんどん不毛な論争に突入していく様とか、なんかいろいろ思い当たります。

 いえ、たしかに局所的で突き詰めた話をしたい時に、毎回いちいち「人それぞれ」なんて些末なところにまで思考を割かなければならないというのも面倒な話です。ですから、あらかじめ自分の言葉に触れる読者層を想定し、ある程度のところまでは暗黙の了解として論を進めてしまっておくということはありだと思いますし、そうでもしなきゃ意見の発信なんてやってられません。でも、それがあくまで「暗黙の了解」であって、既にフラットな状態からは一歩を進めた言葉であることは心のどこかで把握しておきたいですよねーという。

 あー、あとそもそもの前提として、"「人それぞれ」なんてねえ、俺の信じるものが正しいもの考え方だ"みたいなケースもあるでしょう。「**の面白さが分からない奴は死ね」とか。これはもう、なんか言語体系レベルで属すところが違うんだろうなーということで、私特に意見は持ちません。

*1:あいえ、四則演算を再度厳密に定義するとか、そういうレベルでの言及は当然ありますし、そのレベルの話になるならまた新しい「語るに足る」意味が生じると思いますけど。