人を殺した少年達の凄まじき業 - 貫井徳郎『空白の叫び』

空白の叫び〈下〉 (文春文庫)
空白の叫び〈中〉 (文春文庫)
空白の叫び〈上〉 (文春文庫)

 凄まじい小説でした。反社会的な問題児、裕福で品行方正な天才、貧しい家庭で質素に暮らす普通の子、3人の「14歳」が全く別々の理由で人を殺すところでようやく上巻が終わり、その後の中巻、下巻では、彼らの「業」がえんえんと描かれていきます。

 おそらくは綿密な取材や事実調査を土台とした上で「少年犯罪」に注目した作品なので、現実社会に対して問題を提起するような側面は、たしかにあるでしょう。ただし本作の3人の主人公は、「少年犯罪者」というカテゴリで一括りにされるグループである前に、まず一人ずつの個人として存在します。若くして同じ罪を背負っている点で、彼らには絶対的な共通点がありますが、作中ではむしろ彼らの「差異」についてこそ多くの描写が割かれています。

 彼ら一人一人の持つ「業」は、凄まじく恐ろしいものです。その「業」は、少年院を出た後の彼らにも執念深く着いてまわり、ただただ執拗に破滅をもたらそうとします。本作が社会問題としての「少年犯罪」の側面のみを扱った作品なら、「業」は彼らが殺人という決定的な過ちを犯した瞬間から降りかかったものとして描かれたはずです。ただ、作品を読み進めていくと、どうもこの「業」は犯行のずっと前から彼らの心に沈殿していて、抗いがたい苦痛を宿命づけていたようにすら読めてきます。

 人を一人殺した事実はそれだけでもきわめて重大ですが、本作で描かれる「贖罪」の光景は、もはやそういう一般論の範疇を超えています。ある遺族が主人公の罪を激甚に糾弾するシーンがありますが、この凄まじさは「加害者vs遺族」の話として一般化するのには抵抗を感じます。これはむしろ、少年にして殺人者となった一人のモンスターが、復讐に震えるもう一人のモンスターとなった遺族と対峙する場面であり、個人と個人の、きわめて特殊な関わり方を描いていると思うからです。

 そういうわけで、本作が社会批評としてどこまで現実に即しているか、というと議論の余地がありそうです。少なくとも、「少年犯罪者の更正を重視するべきか、遺族感情のため厳罰に処すべきか」というありがちなテーマに主眼が添えられているわけではないようです。その分、主人公の生い立ちや内面などの個人的な側面に焦点を当て、いくつものエピソードを積み重ねれていく人格描写は綿密で、鬼気迫るものがありました。人間心理をここまで掘り下げて書くことのできる作家さんって、そうそういないだろうと思います。