原因と結果がいつの間にか反転する件について。
- 夢オチ
- 妄想オチ
- メタオチ
こういったオチの物語が地雷と呼ばれるのはなぜかといえば、それはもちろん「それまでの展開や伏線が放り投げられ、ひとつの物語として不完全でまとまっていない」からです。そんな投げっぱなしで終わる作品は実際にいくつも存在して、人々はそういう作品に出会うたびに溜息をついてきました。*1
ところで「それまでの伏線や展開がちゃんと収束し、ひとつの物語として綺麗にまとまって」いて、なおかつ夢オチや妄想オチで締められている作品も、それはそれでたしかに存在します。(少なくとも存在しえます) そしてそういった作品を読んだとき、「これはよくできた作品だけど、夢オチになっていることが致命的な欠点だ」と考えてしまうのは、わりとありえることだと思います。
これって、いつの間にか「夢オチや妄想オチは作品にとって致命的な瑕である」という価値基準の反転が起こっていることにはならないでしょうか。別に夢オチに限らなくても、ハズレの多い特定のネタを嫌う風潮からそのネタを用いること自体が非難の対象になる、という事態は少なくない気がします、みたいな。というわけで、オチが思いつかないのでこの記事はここで投げっぱなしますがいいですねっ!
*1:いえ、私は投げっぱなし大好きですけどね!