ネオエクスデス化する元ネタとしての神話的データベース (1)

えーと、三年くらい前、ゆらぎの神話を思いついたときに考えたことを色々とぼやいみてますよ。
創作という視点から神話を眺めてみると、その世界観は元ネタの宝庫として捉えることができます。たとえ宗教上の理由や作品のテーマ・モチーフから全く関係のないことであっても、または前提の手っ取り早い共通理解を目的としていなくても、人がとにかく神話からの引用をしたがるのは今ある様々なファンタジー作品を見れば一目瞭然*1です。

たとえばFFとかDQとか、またはワーグナーさんの楽劇にしてもダンテさんの神曲にしても、どれも神話を元ネタとした作品なのです。ここで神話は、創作に対する「元ネタ」としてのデータベースであるとみなすことができます。

ところで、この「元ネタ」のデータベースはそれぞれが独立に存在してるんでしょうか。たしかに、個々の神話体系はある程度まとまって存在します。ギリシア神話ギリシア神話キリスト教神話はキリスト教神話。けれど、もう少し詳細にその中身を見てみると、実はこういった分類が一枚板には出来ないことに気がつくと思います。

たとえばギリシア神話の女神アフロディーテメソポタミア神話の女神イシュタルなどと同一の起源を持ちますけれど、キリスト教に入ると堕天使アシュタロスとして悪魔扱いされてしまいます。七福神の大黒さんは由来を辿ればヒンドゥー教の破壊神シヴァです。またキリスト教神話の内部でも、アダムの最初の妻はイヴじゃなくてリリスなんだーとか、ルシファーとサタンは同一人物だーとか違うとか、完全なひとつの体系として見るには辻褄の合わない部分が多すぎます。

神話は長い歴史の中で人の言葉によって語り継がれ、その時々の事情でどんどん変容してきたわけですから、その結果できあがったものが完結した綺麗な一枚絵に収まらないのは当然です。地方によって、宗派によって、また人によっても、その内容は大なり小なり異なるのです。そこに出現するのは、互いに影響し合いながらそれぞれの要素が有機的に結合し、自己矛盾を孕みつつも全体としては均衡の整った、巨大で不確定な多重構造です。

ここで神話世界は、マクロな視点で見ればそれぞれの体系同士が、ミクロな視点で見れば個々の要素同士が寄せ集められて生まれたネオエクスデス構造*2を持っていると考えることができます。そして、目の前にある個々の実体をいくら食い入るように眺めても、その神話世界全体の全貌は決して見えてくることはありません。なにせ目の前の天使は別の場所ではと悪魔として現れるかもしれません。そもそも、作者が一人ではありえない以上、それを作る意思もまたてんで別々の方向を向いていたはずなのです。

神話が元ネタとしてネオエクスデス的に消費される例を考えましょう。たとえば典型的な例として、FFにはエクスカリバーオーディンやバハムートや天叢雲剣といった異なる神話体系を元ネタとする小道具が大量に出現します。ここでは複数の神話体系が同列に並べて扱われていて、体系同士の間に緩やかな結合が生じていると考えることができるでしょう。

また萩原一至さんの『BASTARD!!』にはキリスト教神VS虐げられた異教の神々という構図があるようで、複数の神話体系を融合させた大きな世界観が元ネタとなりつつあります。解体と再構成の度合いが激しいですけど、川上稔さんの『終わりのクロニクル』では世界各地の神話を物語内に取り込んで独自設定の下に一本化させる試みがなされています。

ファンタジーとしての元ネタというより歴史的、考古学的な引用になりますけれど、高橋克彦さんの『龍の棺』や田中芳樹さんの創竜伝*3は東西の神話体系の対立がお話の骨組みとなります。これらの作品は、いずれも単一の神話認識からは生まれない元ネタの扱い方であると言えるでしょう。

と、ここまでは大昔からから存在する既存の神話についてのお話。ここからクトゥルー指輪物語といった創作神話や、都市伝説や二次創作といった方向に話を繋げていきたいと思います。疲れたので続きは今度ー。
つづき

*1:こういった元ネタがどのような意図で引用されるのか突っ込んで考えることも出来るんですけれど、今やると話が逸れてしまうので別の機会or別の人に任せましょう。

*2:ネオエクスデスについては萌え理論Blogさんのこことか参照。「異なる複数のものが有機的かつ複雑にくっついて、実体がよく分からなくなったもの」という風に理解しています。

*3:といって『創竜伝』の方は未読なんですけれど、たしか龍と牛が対立するお話なんですよね? →コメント欄で勘違いの指摘いただきました。また知ったかぶりましたごめんなさい!