ネオエクスデス化する元ネタとしての神話的データベース (2)
昨日の続きー。
えーっと、今までずっと神話神話と言ってきましたけれど、元ネタとしてのデータベースが必ずしも古代から伝わるお話である必要は当然ありません。たとえばクトゥルー神話が代表的ですけれど、比較的最近になって創造された世界観であっても、前述した神話と事実上同じ働きをしているものは存在します。指輪物語の世界観のイメージも、大昔からそういうものだったと錯覚されるほど後世の作品に根付いています。
もっと小規模な例でいくとバハムートは(元々の伝説ではカバなのに)FFの影響で*1竜のイメージがすっかり定着してしまいました。スーパーロボット大戦だって、さまざまなロボット作品を元ネタとしたネオエクスデス的産物と言って間違いではないでしょう。他にも、東方projectなど二次創作の勢いが盛んな作品はファンの間で生まれた二次設定が準公式扱いになってしまうということが多々あります。
とはいえ、この中で本当に神話と呼べるのはせいぜいクトゥルーくらいのものです。指輪物語は世界観のイメージが流用される程度で、魔王サウロンとかが後世の作品におおっぴらに登場するわけではありません。そしてそれ以降の作品となると、これはもう二次創作やパロディとしてしか見做してはもらえないでしょう。狭い世界ならともかく、普遍的に用いることの出来るデータベースとは言えません。
では、数年といった短期間で神話的データベースを生むのは不可能なことなのでしょうか。それを判断するには、まず作品が神話的データベースたるに必要な条件を考える必要があります。ここで歴史的な蓄積以外に重要と思われるのは、「原作」の問題です。
神話は二次や三次にとどまらない多次創作の連鎖によって生まれるものですけれど、その過程で「原作」は消失します。お話が変容するにつれて元々の作品がどういうものだったのか誰も分からなくなってしまい、それどころか目の前にある多次創作こそが「原作」であると思い込んでしまうのです。ひとつの原点に集約されないからこそ、神話はあそこまで多様化することができたのでしょう。
現在では著作権意識の問題もあって、二次創作という行為をおおっぴらにすること事態が憚られています。何よりも「原作」という確固たるオリジナルが存在する以上、あらゆる多次創作はそれを基準としたものになるため、なかなか多様化が難しいでのす。二次設定が公式設定に取り込まれる例がないわけではありませんけれど、「原作」は「原作」として強固な存在を維持し続けます。作品に関する権利が作者にあるのは当然で、著作権の考え方もそこから生まれたものですけれど、とりあえず今の状況から新しい神話が生まれると考えるのは難しいでしょう。
逆に今挙げた問題点をどうにかすることが出来れば、現代でも「神話的な何か」が生まれる可能性はあります。要は、「原作」という概念が存在せず、著作権的なあれこれに気を遣わなくて済み、なおかつ多数の人が参加できるシステムを用意してあげればいいのです。『ゆらぎの神話』もそういう発想から始めたものですけれど、ここではもう少し大きな視点で考えてみましょう。つまり、原典の存在しない作品同士が融合する形での、ネオエクスデス化されたデータベースについてです。
*1:最初にバハムートを竜にしたのはダンジョンズ&ドラゴンズらしいです。