有料ゲームに爆弾を投げつける剥き出しの表現能 - フリーゲーム『キャラバン・オブ・リビングデッズ』

Erlkonig2006-11-25




ちょ なにこれ

まったく一体なんなんでしょう、これは。たとえばノベルゲームの作者は、なんとかしてプレイヤーの心を動かすために20時間とか30時間といった長大な作品を作ります。人の心を動かすには、普通ならそのくらいのことをしなければならないということなのでしょう。

ところが、このゲームはどうでしょう。プレイ時間はせいぜいが10分程度、テキストは一行から数行の文章がときどき現れては消えるのみ。映像だってWindows付属のペイントソフトで書いたような感じです。そもそもフリーゲームですし、作製費用なんてほぼゼロでしょう。

それなのに、どうしてたったそれだけの作品で、こんなにプレイヤーの心を揺さぶることが出来るんでしょう。何十時間もかけてノベルゲームをプレイしたり、何時間もかけて小説を読んだりするのが空しくなってさえきます。とにかく「やれ、いいからやれ」と。

もちろん、先に例示した長編作品にも意味はあります。時間を掛けねば得られない積み重ね、商品としての洗練、技術力と資本力など、長大な作品にはそれでないとできない表現があります。けれど、それは逆も同様。軽さと瞬発力を武器とする、こういったフリーゲームにしか出来ない表現というのも当然あるのです。アンディー・メンテステッパーズ・ストップなんかがその方向性の表現を模索していますけど、これもその系譜に連なる作品でしょう。

普段は市販のきっちりした作品しかプレイしない人も、たまにはこの手のフリー作品に触れてみてはどうでしょう。消費者向けにコーティングされていない剥き出しの雰囲気が肌に合わないということはあるかもしれませんけれど、市販作品とはまったく異なるこういった種の表現が存在することを知っておくのは、悪くないことだと思います。