流水大賞『エレGY』とフリーウェアゲーム文化の話

パンドラVol.1 SIDEーB

 フリーウェアゲームサークル「アンディー・メンテ」。その主要メンバーである泉和良さんの作品が講談社BOX流水大賞で優秀賞を獲得したという報は、私にとって昨年最大の衝撃でした。それから半年、ようやくじすさん=泉和良さんの小説を活字で読むことができて、今私はとっても幸せです。

 テーマとしては、創作と恋愛についてのお話ということになるのでしょうか。自伝小説的な要素の強い作品ですけれど、じすさんはもともと自分の感覚を切りとってさらけ出すことで叙情性の強いフィクションを描く人でした。自伝でひとつ面白い作品を書けても二作目以降どうなるかは分からないと心配する向きには、彼の過去のゲーム作品をおすすめします。えっと、きせきの扉なんかどうですか。

 まず驚いたのは、読み進めるに際してほとんど摩擦抵抗の発生しない、その透き通りすぎた文章。減衰なく脳に届くから、防御力無視で感性に直接働きかけてくるような感じです。校正の効果*1やレイアウトの問題もあるんでしょうけれど、じすさんがこういった文章を生み出すことのできる人だったのかというのは今回いちばんの発見でした。

 じすさんはそれはもうもの凄いSFを描く人で、早くハヤカワのJコレクションあたりから作品出さないかなあと私は思ってるんですけれど、『エレGY』に関してはそっち方面の力は見せていません。これについては次回作以降に期待、ということでしょうか。『エレGY』を気に入った人は、彼がSFもいける人だということをちょっと心に留めておくといいと思います。

 ところで、アマチュアゲーム作家という経歴から、泉さんを奈須きのこさんや竜騎士07さんの流れを汲む者として位置づけたがる人がいるかもしれません。けれど、それは全然違うんですよーと先に釘を刺しておきたいです。

 同人ゲームと言って多くの人が想像するのは、とらのあなみたいな同人ショップに置いてある一枚いくらのゲームでしょう。けれど、アンディー・メンテが属する「フリーウェアゲーム」の世界は、そういった「同人ショップに置いてある」ようなゲームとは根本的な文化が異なります。

 「フリーウェアゲーム」は、無料でダウンロードできるゲームと言い換えてたぶん差し支えありません。たとえば、昨日今日ゲームのプログラムを勉強し始めた誰かが試しにひとつ習作を作り、自分のサイトで公開してみた。あるいは、ワンアイデアを思いついた作者がパッションに駆られて一晩モニタの前に座り込み、100キロバイトくらいのゲームファイルをVectorに登録した。そういったものが、出来不出来はともかく「ひとつの作品」として認知されているのがフリーウェアゲームの文化なのです。

 ボリュームや完成度の差はあっても、多くのフリーウェアゲームはこの方向性の延長線上にあります。『エレGY』では「同人ゲーム」という語は使われず「フリーウェアゲーム」という語に統一されていましたけれど、これは「同人ゲーム」という言葉が持つ強い固定イメージを切り離す効果があったと思います。

 はなから見返りを求めていないという点で、フリーウェアゲームという創作形態は市場から見ればかなり特殊なものになるかもしれません。この「フリーウェアゲームスピリット」は『エレGY』という作品のひとつのテーマですし、作品からはなれたじすさん自身もブログなどでこの言葉を使っています。

 もしかしたら作家としてデビューすること自体、じすさんにとっては大きな葛藤を生み出す要因のひとつなのかもしれません。日記などを見ていても、彼がこの受賞のことをどのように感じているのか、見えてこないところがあります。でも、それでも、じすさんがじすさんのフリーウェアゲームスピリットを貫けることを心の底から祈っています。

エレGY (講談社BOX)

エレGY (講談社BOX)

*1:普段のじすさんは、執拗なまでに誤字脱字を繰り返すのです。誤字脱字は勇気の支えという標語があるほどです。