『うみねこのなく頃に』の叙述客観性問題
怪しいところは言葉を濁し、ネタばれは極力避ける感じで。
安眠練炭さんのうみねこプレイ日記のおかげで、いま毎日がとても楽しみです。一日に何度も日記にアクセスして新しい更新が来てないかと確認する日々……真っ昼間から更新されてるわけないと理解しつつ、ついつい覗いてしまうのです。
ずいぶんスロースタートな話なので、なかなか面白いところまで進まないだろうなというのが紹介した身として残念でもあります。私はもう作者を完全に信用しきってたので、前座が何時間続こうが苦にならなかったのですが、初見で入るとやはりきつかろうと思います。*1
叙述の客観性については、のちのち限定的にですが非常に明確な指針に基づいて確保されます*2。そしてそれ以外の面では逆のことが起こるとも言えます。叙述の客観性という問題について本作はかなり自覚的に構成されていますが、その仕掛けが最終的に練炭さんのスタイルに沿うかどうかは何とも言えないところ。*3
ただ本作を第4話まで読んだ私がひとつ言えると思うのは、客観性の低い叙述も、客観性の確保された叙述と同様に重要であるということです。客観性の低い叙述は読者をミスリードするためだけの捨て描写に過ぎないというスタイルは、この作品では採用されていないはずです。「アンチミステリーVSアンチファンタジー」という構図による解釈に基づくなら、本作に描写される虚実には同等の重みがあるはずなのです。
なんにしても、この客観性の問題は上記「明確な指針」がらみで後から回収されます*4。ので、このあたりは「ミステリーではない小説を読むように」読んでいくのがいちばんだと思われます。ある一族の業にまつわる群像劇、というのがアウトラインですしね。
もともと「王道・標準」がテーマの第1話は、とことん猫をかぶっています。「うみねこ」の単一作品としての特殊性が噴出し、手の内が見えてくるのは第2話から。それまではのんびりとプレイできればいいんだろうな……とは思うんですが、うむむ。