事件の謎は解明されたか?-『うみねこのなく頃に Episode7 Requiem of golden witch』
まず大ざっぱな感想
いつの間にか第7話ということで完結も間近に迫り、このままクライマックス向けて一直線? と思っていたら、「今までの主人公は脇で休んどいてもらって新キャラ投入」っと、かなり意外なところを突いてきました。本編の展開をぶった切って、いきなり新展開が横入りしてきた感じです。前編あたりで、主人公がプレイヤーを追い越して一足先に真相に辿り着いちゃったので、読者の代弁者がまた別に必要になったということなのでしょう。
とはいえ、外伝やサイドストーリー的なものなのかというとそうでもなく。部外者である新キャラが登場したことによって、過去の登場人物たちが"あえて触れてこなかった"真相が次々と明らかになり、物語は遂に核心へと迫っていきます。いわゆる解答編の段階に突入したわけですが、「解答」という言葉を使うのはこの作品の思想に反しそう(後述)なので、代わりに「告白」とでも呼ぶべきでしょうか。
「告白」編ということで、前回まで盛んだった推理合戦は今回ほとんどお休みでした。それに付随するバトル展開・燃え展開も、当然なりを潜めます。そのため、今回の演出は全体的に大人しめで、淡々と語り聞かされる事件の真相を静かに受け容れる回、という趣の強いものでした。これまでがひたすら派手さを増してく展開だった流れもあるため、今回突然訪れた凪のような展開に、物足りなさを感じる向きは多いかもしれません。
その代わりに本エピソードで重視されていたのは、人格の描写です。思い返すと、『うみねこ』の人物描写は、各キャラクターの心理や人格形成を丁寧に描き込んでいた『ひぐらし』と比較すると、どうしても表層にとどまってしまっている*1感がありました。
登場人物の数が多いために描写が分散してしまう上、ミステリーの制約で重要なキャラクターほど内面的な謎を残す必要があっため、人間心理に深く入り込んだ人格描写をするのが難しいところもあったのでしょう。加えて、ストーリーが進むとメタ構造の自明性が顕著になり、それぞれの殺人事件も「お決まりのゲームイベント」としか見なせなくなってくるので、ひとつひとつの死が相対的に"軽く"なってしまっている面は確かにあったのだと思います。
ところが本エピソードでは、もはや本心を隠す必要のなくなった何人かのキャラクターが、満を持したかのようにその内面を語り出します。もともと、伏線や象徴的な描写が過去のエピソードで繰り返し語られてはいたのですが、そういった断片的な情報が本エピソードで初めて明確に「意味づけ」されたわけです。
過去の6エピソードに渡って積み重ねられた伏線が一点に集約され、遂に実像を結ぶ瞬間のミステリー的なカタルシスは、人間描写による情動的なカタルシスと相乗を起こします。同じことはエピソード4のクライマックスでも起こっていましたが、今回もそれに匹敵するお話が描かれていたと思います。『うみねこ』の人格描写に若干物足りなさを感じていた身としては、完結直前のこのタイミングでそっち方面に描写の比重が傾いたのは率直に嬉しいことです。
可能世界に希望を託す
人格描写とは少し趣を異にするところですが、今回、目を見張るほど感銘を受けた*2シーンがありました。自分の人生はどうしようもなく不幸だったけれど、無数に広がる可能世界のどこかにはちゃんと幸せになれた自分がいて、穏やかな生を全うしている。そんな"ありえたかもしれない幸せな自分"に希望を託すことが、不幸に呑み込まれそうな自分にも救いをもたらす、と、本編で描かれたのはそういうビジョンだったと思います。
「可能世界のどこかには、幸せな自分がいるかもしれない」っていう発想は、「来世で幸せになる」とか「神様が見ていらっしゃる」とかの信仰にも似ていて、多分に宗教的な感じがします。ただ、来世とか神とかの信仰は超自然的な"それ"が実在するか/しないかに依存する話なので、科学が色々なものをぶった切るこのご時世ではなかなか信じ切ることができません。
でも、可能世界っていうのははじめから観念的なもので、実在するかどうかという問題ではありません。『うみねこ』はフィクションなので可能世界が可視化されてますけど、別に行ったり来たりできるわけではないし、その必要もない。本当にただ"想定できる"だけでもいいわけですね。完全な無神論者でもお守りやお祈りで気持ちを落ち着けられるのと同様、「祈り」の根本はその対象の実在/非実在とは無関係なところにあるのだと思います。
"この"自分の人生とは決して交わることのない可能世界に希望を託すことで、不幸な人生であっても幸せを感じながら死んでいける。あるいは、可能世界を想うことで湧いてくる希望を気力に変えて、"この"不幸な世界でも前向きに生きていける。今回のエピソードから感じたのは、そんな前向きな希望の在り方でした。以前、本作とは全く関係ない文脈で「人は可能世界のために涙を流すことができるか?」とか考えてたことがあったんですが、今回のお話はこの問いに対するひとつの回答にもなっていました。
『うみねこ』の世界における「よき魔法」とは、観測していない世界に幻想を見出すことですが、その幻想は最終的に"現実を生きる"ための希望に転化されるべきもの*3です。だとすれば、「可能世界に希望を託す」という発想は、"この"現実と矛盾することが決してないし、探偵の知的強姦に晒されても決して汚されることのない、最も強い魔法なんではないかなあとか思ったりしました。
事件の謎は解明されたか?
今回のEP7で、EP1〜EP4までの事件については、解答編相当のトリック開示が行われました。ただし、この開示方法がコナン君の犯行シーン再現映像的な分かりやすいものでなく、ノストラダムスの予言詩のような比喩的なものであったため、案の定な批判意見が挙がっているようです。さすがに『ひぐらし』の時ほど紛糾しているわけではなく、当時と比べると実に静かなものなので、今回はうまく制御できたんだなあとも思いますが。
私も竜騎士さんのミステリーに対する屈折した姿勢には賛同しかねるところがあり、ちょくちょく批判的なことを書いていたり*4はします。ですが今回の真相開示方法に関しては、今のところほぼ筋が通っていると考えます。「今のところ」と書くのは、EP8以降で補足してもらう必要のある部分がけっこうな量あるからですが。
まず『うみねこ』の根本的な作品思想として、「作者(≒探偵)が一方的に真相を与えること」を良しとしない、という発想があります。どういうことか、というと。
推理小説の根本的な原理として、作者が探偵の口を借りて「これが真相だ」と言わせ、そのまま作品が完結すれば、それが作品内での真実になるというメカニズムがあります。たとえばコナン君の推理に論理的な飛躍があったり、検証不足な点があったとしても、作者自身がその穴を掘り下げてどんでん返しする気がない限り、お話は「コナン君の推理」が正しいものとして進むでしょう。
逆に、作者にどんでん返しをする意図さえあれば、ほんの僅かな論理の穴を膨らませて「新しい真相」を提示することだって可能です*5。結局のところ、作品の最終的な真相を確定させるのは探偵の推理ではなく、"作者の恣意"なのだ、という言い方はできます。*6
加えて、エピソード5のラストで語られたように、作者と読者、双方の歩み寄りが本作のテーマのひとつとなっています。このあたりを加味すると、探偵が単なる事実を羅列していくような、作者側からの一方的な真相解明を竜騎士さんが避けようとしたのはテーマ的な必然で、至極まっとうな判断だと思います。
今回の謎解きに対する批判の大半は、「推理ものなんだから、その真相は作中で明示しなければいけない」という模範に集約されます。ですが、作品のコンセプトとして脱格とかジャンル批判的な要素を掲げている作品に対して、そこの論旨を見事にすっぽかしてジャンル内の模範の遵守を求めるのは、まあ筋違いな話だと言えるでしょう。*7
問題にすべきは、「従来型の模範を批判・脱格することで生じる、作品内の新たなモラル」を『うみねこ』自身が遵守できているかどうか、でしょう。竜騎士さんを叩きたい人は、こっち方面の粗を見つけて叩いてこそ筋が通るのだと思います。で、『うみねこ』が守るべき新たなモラルって何よ、というと、ぶっちゃけこれがよく分からないという面があるので、まあこの辺りが竜騎士さんの脇の甘さなんだろうなっとは思います。
とりあえず、私的な納得の基準
そういうわけで、ここから先は「私が納得できる謎解きの基準」の話をします。作品の方で模範を提示してくれていない以上、こっちで適当に判断するしかないですからね。
『うみねこ』が作中で示すテーマ、モラルはいくつかあります。特に謎解きに影響しそうなものを羅列すると
- 作者は真相を用意している*8
- 作者側から一方的に、断定的な解答を羅列することは避ける
- 作者と読者双方が歩み寄ることで、読者は真相に辿り着ける
- 大枠のトリックさえ特定できれば、順列組み合わせで何とでも説明可能な細部の説明は不要*9
あたりが私の読み取れているところです。2.4.の条件を満たしつつ3.を遂行することができれば、間接的に1.を確かめることはできるでしょうか。(このあたり、あくまで「納得」のための作業なので、論理はザルザルです) 幸い『うみねこ』は集団参加推理ゲームの体裁をとっているので、公式掲示板やら2chまとめwikiやらの考察がどこまで真相を絞っていけるか、2.を確認するひとつの指針になると思います。
今回の謎解きシーンで詠われた予言詩もどきは、実によくできていたと思います。あれって一見すると何のこっちゃさっぱりですが、既に考え得る犯行パターンを一通り洗い出している人にとっては、「その推理で合ってますよ」と保証を与えるお墨付きになるわけです。最低限、web上の既出推理を調べる程度には頭を使った人だけが真相に辿りつける仕組みになっていて、上手いやり方を考えるもんだなあと感心しました。
今回のお話で主犯は確定しましたし、共犯者になりそうな人物も絞れてました。さらに件の「予言詩」的な謎解きがあったおかげで、いくつかの事件のトリックは確定した、と思います。細部をつつけば「今回の話も全部嘘でした」とか「狂人の妄想でした」式の屁理屈をねじ込む隙はいくらでもあるのですが、事件の真相を代弁するキャラクターが「これ以上のペテンはない」旨を表明する態度を取っているので、作品テーマである「作者と読者の相互信頼」を前提に、オッカムの剃刀で切り捨てていいのだと考えます。(あくまで納得のための作業なので)
とは言え、予言詩なんかはかなり曖昧に書かれてるので、本エピソードの情報を加味してもまだ真相の大枠が絞り込めない事件はいくつかあります。この辺りの論理不足を埋める情報がEP8で提示されなければ、推理ゲームとしての『うみねこ』は片手落ちに終わるでしょう。また、「真里亜の薔薇」に代表されるような、「魔女のゲーム」の俎上に出ていない謎も多数あり、どちらかというとこっちの方が謎として面白かったりします。
最終話であるEP8でなく、今回のEP7で一通りの謎解きが行われたのには、それなりの意図があったと考えたいです。つまり、いちおうの謎解きを行ってもまだ読者側の推理が確定しない場合に備えて、最後のヒントを出す機会としてEP8を残しておいたのだと。結局、全ての謎解きが終わったわけではないので、今の時点で良かったとも悪かったとも判断は下せないのですが、まあ推理ゲームなんだからそこのところは全部完結してから評価を決めても遅くはないでしょう。
EP8について
思いがけず謎解き方面のお話に文字数を割いてしまいましたが、ぶっちゃけ物語がここまで来ると事件の真相がどうこうの話はわりと些事なんだろうなと思っています。(えー)
何にしても、ミもフタもない事実として、六軒島で人がたくさん死んでしまうような事件があった。残された人のため、この事件に一体どのような意味づけを与えればいいのか、という辺りが本作の最終的なテーマであって、おそらくEP8もそこをメインに語っていくことになるのでしょう。
その際、悲しく醜い「事実」を単に"なかったもの"として隠蔽し、綺麗で幸せな夢物語を紡ぐことがこの作品の答なのか、それとも「事実」を正面から受け容れながらもその中に幸せな何かを見出すのか、今の段階でも判断のつきかねるところではあります。
EP4あたりから、現実と乖離したスピリチュアルじみた世界に飛んでいきそうな気配がちらほら見え隠れし始めたのは、プレイした人ならご存じの通りです。いまだに着地点がどこにあるかは判然としないので、ちゃんと地に足のついたところに降りてきてくれるのか、すこーし心配に感じていたりはします。「現実は不幸でも、幻想の世界で幸せならそれでいいやー」っていう結論は、あまりにもあんまりだと思うのです。まあでも、もし仮にそっち系の結論に落ち着くとしても、十分納得できるだけの説得力でもって道の地平を描写してくれるなら、それはそれでアリなのかなあ……と思わないわけでもなく。まあ、開いてみないと分からない話です。
どちらかというと、心配なのは、発表までの期間が残り4ヶ月ときわめて短いことです。『ひぐらし』の完結篇は普段の1.5倍くらいのボリュームだったので、『うみねこ』にもそれくらいの全力投球を期待してはいます。ただ、冬-夏にかけて8ヶ月の余裕があった『ひぐらし』完結篇と比べると、時間的余裕がかなりシビアになってしまうので、この条件が悪い影響を及ぼさないか、かなり心配なところ。気持ち的には、延期して来年になってもいいから十分に完成された最終話が見たい、と思うのですが、あれだけ人とお金が動いてる作品だとそうそう軽々しく落とすこともできないでしょうし……これだけはもう、素直にいちファンとして上手くいくことを願うばかりです。
*1:作品全体の中心であるベアトリーチェや、EP4で焦点が当てられていた縁寿などの一部を除いて
*2:視覚情報でもないのに目を見張るって言いますかね? まあ実際の身体反応としてそういう動きた出たので。
*3:だから、幻想世界に閉じ籠もって現実を拒絶する真里亞の魔法は時に「悪しき魔法」として描かれます。
*4:たとえば今回も新キャラが"昨今のミステリーはホワイダニットをないがしろにしがち"的なことを言いますが、それは一体いつの時代の話だろうとか。竜騎士さんのミステリー教養は主に古典がベースになっているようですが、その認識のまま「ミステリーにもの申す」みたいなことを言うので、どうも的外れな主張が目立ってしまうのです。
*6:たとえば極端な話、「以上は全て狂人の妄想日記に書かれた内容で、実はそんな事件は起こっていませんでした」みたいな文章を最後のページに追加すれば、ほんとどあらゆる物語の真相を覆して台無しにすることができます。全ての作者は実際にそれをすることができますが、まあやらない。これもまた、作者の恣意に基づいた選択です。
*7:そもそも、前述したようなテーマはエピソード4あたりからもう何度も何度も繰り返し語られていたわけで、文句を言うにしてもなんで今さらという感じはします。一年前から分かっていた話が、どうして今になって噴出するのかと。
*8:EP6の「ロジックエラー」絡みのルールがあるので、辻褄がある範囲内での改変は可。
*9:「魔女のゲーム」の根本的な思想。既に犯行の合理的な説明が可能となっているなら、主犯・共犯者の内の誰が実際に手を下したのか、具体的にどのような手順で犯行を行ったのか、などの細部は、ゲーム上問題にする必要のない「解答不要」の部分になるかと思います。推理の論旨と関係ない具体的なシーンの再現を求めるのは、結局「作者が恣意的に選べる解答」を聞いて満足する姿勢に他ならないという話でもあります。