ひぐらし鬼隠し編のキャラクターが類型的な件について

「せかいの はんぶんを おまえに やろう」のせぶんさんが遂にひぐらし鬼隠し編をプレイされた*1ようですよ。

類型的キャラクターを見せることによってオタクを自分の属するコミュニティの類型に直面させて自己嫌悪に陥らせるという強力な間接的オタ攻撃

これを見て鬼隠し編初プレイ時の自分の感想を思い出しました。そういえば当時は私も、たしかに「なんて類型的・記号的なキャラクターなんだろう」と感じていました。こういうのはそれまでぜんぜん触れたことのない世界であり、前半のギャルゲー展開がどうにも異質な「気持ち悪いもの」に思えてしまったのはぶっちゃけ否定できません。
多分に信者フィルターを通した意見なのであんまり自信もないんですけど、『皆殺し編』までを終えた現在、ひぐらしのキャラクターは相当な身体性*2を持っていると主観的には感じています。特にレナさんなんかは竜騎士07さん本人のお母さんがモデルの一部になってるのでは、と勘繰ってしまうくらいに強度の高い現実味があります。
でもひぐらしのキャラクターのこういった身体的な面は、少なくとも鬼隠し編の時点では表面に出てきません。鬼隠し編の前半はせぶんさんの仰る通り、いかにも「美少女ゲーム的」な造型の女の子たちが主人公の周りで延々と騒ぎ続けるだけですし、後半は後半で人となりを探るためにはやっぱりちょっとアレです。彼女たちの身体性ある造型を目にするためには、第二作の綿流し編に手を伸ばさないといけないでしょう。
こういった二面性は「はじめギャルゲーだと思ったら、実は……」という展開を演出することにキャラクター造型の面から一役買ってると思うんですけど、竜騎士07さんがこれを自覚的に行っていたかどうかはちょっと判断できません。鬼隠し編のキャラクター造型が記号的で類型的なのは、単に当時の竜騎士07さんにそこまでの描写力しかなかっただけなのかもしれないのです。その場合、竜騎士07さんのキャラクター造型は編を追うごとに少しづつ上達していったことになりますね。
ひぐらしは完結までに数年に渡る期間を要している連作です。竜騎士07さんだって鬼隠し編当時と比べるといろんな面が目に見えて成長してるわけですから、今の視点で「あの頃もっとこうしていれば」と思うことはきっと少なくないでしょう。そういう意味では、鬼隠し編のキャラクター造型は過去の拙さが結果としていい結果を招くこととなった、珍しい例といえるのかもしれません。みたいな。

*1:「ついに」て。

*2:とりあえず"記号的"の対義的意味合いで。