『悪意』

悪意 (講談社文庫)
計算尽くされてるなーという印象。ミステリーの面白さには「隠されていた仕掛けの意外さ・派手さによる魅力」とか「真相を解明する過程の鮮やかさによる魅力」などいくつかの傾向があると思います。その分類で考えるなら本作は、とにかく「伏線の配置とその構成の精密さ」に特化していると言えそうです。私は本を読み返すことが滅多にないんですけど、この手の作品は再読してこそ真価が分かるのかもしれません。
登場人物のキャラクターが読み取れるような(直接的な)心理描写が全くと言っていいほどなかったのが印象的で、カミュさんの『異邦人』を思い出しました。この傾向は、東野さんの作品全般に言えることなのでしょうか? とりあえず、少なくともこの東野さんにあって「人間が書けていない」という批判がいかに的外れなものなのかは分かりました。ドラゴンクエストに対して「SF設定が杜撰」とケチをつけるようなものというか、ともかく評価をする軸からして誤っているわけですね。ただし本作は『動機』がミステリーとしてのキモであるだけに、「人間を書いていない*1」ことが仕掛けに対してプラスになっているのかマイナスになっているのか、私にはちょっと判断できません。
それにしても、ページ数が見えているというのはミステリーにとってやはり致命的な要因なのですね。「一見解決したかに見えて……」という演出をいくら巧妙にしてみたところで、残りページが何百ページも残っていればどうにもなりません。これを気にしなくてもいいのが、ある種のネット小説やゲームなど紙媒体でない作品の根本的な強みなのかもしれません。

*1:少なくとも一般的小説表現で言うところの心理描写を。