「論理性」が理解を拒絶するために発揮される物語 - 恩田陸『ユージニア』

ユージニア (角川文庫)

 横溝正史的な孤村の因習から滲み出るような"澱み"を、近代的な住宅街という舞台に再構築して表現したような。町の名家で起きた大量毒殺事件という不可解の背後に蠢くなにものかの、薄気味悪さがすごいのです。「オカルト」とか「サイコ」とか、そのようなカテゴライズすら"分かりやすいもの"として排除してしまう、そんな理解不能性。

 真相の見えない茫とした世界が読者の前で閉じられますが、これは「読者の想像にお任せします」なんて生ぬるいものではないと思います。恩田さんはもっと積極的に読者の「理解」を拒んでいるし、そこには読者が安心できる「想像の余地」なんかより、もっとおぞましいものがあると思います。


 本作はこんな作品なので、「作者は特に細かいことは考えていないから、事件の真相も曖昧にしか書けないんだ」とゆう風に見られがちかもしれません。そう考えてる人は、一度次の考察を読んでみるといいと思います。

 こういう裏があることが分かれば、本作の構成は一読した印象よりもだいぶ緻密に練られていることが分かります。ここまでやっておいて、単に「風呂敷を畳めなかった」からああいうラストになったのだと考えるのは、やっぱりどうも無理があります。重要に思えるのは、この計算された構成もまた、「つまりこういう話だったんでしょ」と安易に納得しようとする読者の理解を否定する働きをしていることです。

 恩田さんという人は、明らかにミステリー的なカタルシスとは別の地点を目指している作家さんだと思います。そこにすっきりした真相や解決を望むのは、理解し得ぬものを描くという本作のテーマを鑑みても筋違いなのでしょう。一方で、本作は緻密な構成を持った作品でもあります。ただしその緻密さは、読者の理解を拒絶するためというおおよそ通常と逆の在り方をしています。「論理」とはこういう風にも扱えるのかというのが、本作に感じるいちばんの驚きでした。