大甲冑というシステム - 『戦場のエミリー 鉄球姫エミリー第四幕』八薙玉造

戦場のエミリー―鉄球姫エミリー第四幕 (集英社スーパーダッシュ文庫)

重量級ライトノベル

「軽い小説をライトノベルと呼ぶ」という認識の当てはまらない作品が、時々あります。本シリーズはまさにそれ。「重量級ライトノベル」の名にふさわしい作品です。

 今巻の大筋としてのシナリオ展開は、大きな意志決定(による行動選択)が二回、大きな戦闘(の勝敗による展開分岐)が二回あるのみです*1。にも関わらず、本作は十分に読み応えのある、ありすぎる作品に仕上がっています。それはつまり、心理描写、戦闘描写が濃密に詰まっているからということになるのでしょう。

 

大甲冑というシステム

 本作の戦闘は、「大甲冑」なるパワードスーツ的なアイテムを中心に展開します。「大甲冑」は軽装兵が束になってかかっても敵わない代わりにコストも馬鹿高いという代物で、この手のアイテムは作品の重点を「少数精鋭同士の局所戦闘」に傾けます。*2

 こういう作風には、長所と短所があります。長所は、少数精鋭である個人に焦点を当てた描写ができる点。戦争ものであっても普通のバトル漫画と似た感覚で描くことができるので、兵站とか陣形とか戦略とか、その手の「専門知識」なしに作品を作れるというお手軽さもあります。短所はその裏返しで、上記のような戦記物特有の醍醐味が表現しにくいという点。*3

 本シリーズの場合、前巻までは事件の規模が小さかったので、少数精鋭同士の"局地戦"が展開のメインでした。けれど本作では焦点が"戦争"に移り、数千対数千規模の大規模な戦闘が扱われるようになります。ただし、ここで"大甲冑をつけた重騎士同士の戦闘だけで勝敗が決してしまう"風に描いてしまっては、戦争物として物足りなさの残る展開になってしまいます。そこが懸念ではありました。

 でも、どうやらそういう心配は無用でした。本作の一般兵には「大甲冑を装備した重騎士の活路を開く」「攻城兵器を用い、数人〜数十人がかりで重騎士に挑む」といった役割がしっかりと課せられています。つまり一般兵も"作者によって"兵員として数えられ、描写の対象になっている*4のです。だから本作では兵法が重要な要素として扱われ、筆を割かれています。ちゃんと「戦記もの」の小説になっているわけです。

 そういう描写があった上で、趨勢の転機では個人対個人の戦いにも焦点が当たります。この段階に至ると、描写のレベルは"キャラクターの身体や武器が動いた軌跡"にまで肉薄します。本作は多対多、個対個という両方のレイヤで描写が行われていて、しかもそれぞれが乖離せずにひとつの戦いの流れの上に乗っています。両方のおいしいとこ取りとも言えますが、難しいことをバランスよくこなせているのは作者の技量あってこそのことなのでしょう。

あと挿絵

 それと、挿絵が凄い。女の子のイラストだけを見てると、繊細な萌え指向の絵柄かと思います。でもバトルシーンになったとたん、鉄錆よ血煙よ昇れと言わんばかりの迫力ある画風を見せてくれます。背景の描き込みはほとんどしないタイプの挿絵なので、絵全体として見ると寂しくはあるのですが、表情のギャップの凄味は既刊から印象的でありました。

 本巻では"戦場に立つ女の子"の絵があり、この表情の迫力が特に凄まじかったです。あの繊細な女の子の顔に、こういう凄味が生まれるのかーと。物語の最高潮に合わせていることもあり、絵と文の相乗が感じられる素晴らしいシーンでありました。

*1:この辺は、どう細分化するかによりますが、シナリオの大分岐点を基準にしてます。

*2:無駄に凡兵を大量にぶつけて人材を浪費するよりは、少数精鋭だけ戦わせた方が費用対コストが安く済むというGガンダム的発想。

*3:たとえば川上稔さんの『終わりのクロニクル』なんかはいちおう戦争物で、数千対数千のぶつかり合いを描いた作品なのですが、結局は主人公クラスのキャラクター同士の個々の戦闘で勝敗が決まってしまうという面があります。

*4:フィクションにおいては、この「描写の対象になっている」というのが重要です。