支離滅裂な言動と一貫した思考 - 入江君人『神さまのいない日曜日』

神さまのいない日曜日 (富士見ファンタジア文庫)

 富士見ファンタジア新人賞20年の歴史の中で、5回目の大賞に選ばれた作品。小説として"出来がよい"だけでなく、秘められたベクトル*1の在り方が刺激的でした。以下、特徴的に感じたところを二点ほど。

曖昧な世界の境界

 死者が起き上がって再び活動をはじめるようになった、『生ける屍の死』を彷彿とさせるような世界設定。ファンタジーのテンプレから逸脱した特殊な環境が背後に控えているはずなのですが、主人公が幼い女の子であるため、読者にもそのへんの詳しい状況がよく分かりません。

 そのため、前提条件の分からないもやっと感がずっとついて回ります。曖昧で茫洋とした世界を、おっかなびっくり歩いていく感覚。*2ただし、この感覚は主人公と共有されたものでもあるので、その心許ない浮遊感をこそ描いている作品と見るのが妥当でしょう。

支離滅裂な言動、一貫した思考

 キャラクターの思考が一貫している*3というのが、いちばん特筆したい要素です。といっても、一見すると彼らの言動は支離滅裂です。ハンプニーはアイを助けたかと思えば暴力をふるいます。主人公のアイだって、ハンプニーにベタに懐きつつ、当たり前のように憎んでもいる。心ない人だと、「キャラクターの言動に一貫性がない」くらいには言ってしまうかもしれません。

 でも、よく読んでみると、彼らの思考/価値判断の基準はどうやら一貫しているんです。何を大切にし、何に対して怒り、どんなことに動揺するのか。出来事に対する反応のメカニズムが確固としていて、だからこそ読者にとっては予想外な言動がどんどん飛び出しても来るわけです。特に強くそれを感じたのは中盤のハンプニーとユーリの論争的なやり取りで、確固とした価値観/倫理観がなければこういうのは書けないはずです。

 たしかに、その思考についての詳しい描写は少ないので、メカニズムがブラックボックスに閉ざされている感はあります。そこで「直接的には書かれていない、秘められた文脈があるはずだ」と思うか、「場当たり的に思いついたことを書いてるな」と思うかで、感想は大きく違ってきてしまうのでしょう。たしかにちょっと特殊な書き方なので、後者の形で受け取ってしまう人がいるのは仕方ないのかなとは思います。

 このように、程度問題ではありますが、本作はキャラクターの内面を何から何まで徹底的に描写するタイプの作品ではありません。むしろ、ある「出来事」に対するキャラクターの「反応」、その入出力の関係からキャラクターの人格を浮き彫りにしていく作品でした。そういう論理によって成り立つ作品ですから、「キャラクター描写が少ない」という意見は批判にはならず、単なる事実の指摘に留まるでしょう。少々特殊な読みを要するため、ぱっと見のすっきりした印象とは裏腹に、眺めれば眺めるほど異質さの浮き彫りになる作品でありました。

*1:方向性と強度。

*2:世界設定はしっかり作っているけれど、別に世界設定を説明するのが目的ではないので、文章中では最低限以下の説明しかしない。そういう姿勢は長野まゆみさん『新世界』の世界描写などに通じる感覚です。

*3:記事冒頭では「ベクトル」と表現しました。「方向」だけでなく「大きさ」があるため、遮蔽物にぶつかった際には素通りせず、何らかの変化・反応が見られるわけです。