批評するより感想書くのが難しい類の小説 - 舞城王太郎『ディスコ探偵水曜日(中)』

ディスコ探偵水曜日〈中〉 (新潮文庫)

 わけ分かんないけど、わけ分かんないにもかかわらずたしかに面白い、でもその面白さの理由がわかんない……っという混乱に陥りつつも、その混乱に追い立てられるように一気読み。「批評は感想より難しい」*1というのが一般的な感覚*2かとは思うのですが、少なくとも舞城さんの作品に関しては、私の中で両者の難易度が逆転してます。

 なにせ一人称独白型主人公のディスコは非常に内省的なキャラなので、何かある度に立ち止まっては自問自答を繰り返し、思考過程を全部文章に残してくれます。丁寧に読んでいけば、作品のテーマ的な思索はごく自然に理解できるように書かれているわけです。「文脈」やら「探偵」やらのヘンテコなメカニズムがお話をややこしくしてはいますが、根底にある倫理観は「子供は守らにゃいかん」「強い意志でもって現実を創り出せ」みたいなありふれた一般道徳をベースにしているので、それ自体は人を選ばず安心して読んでいられます。

 でも、まさに作品を読んでいる時の経験、感覚そのものを分析*3するのってものすごく難しいんですよね。えっなにこれ、どういう意図があればこんな展開、こんな演出が出てくるの、っという混乱や戸惑い。そういう整理できない感覚に畳みかけられて、いつの間にか他では味わったことのない情動に導かれてしまうわけです。

 ハリウッド脚本術とまではいかなくとも、大抵の作品は「話をこう動かせば受け手の感情をこう動かせる」的なフォーマットをある程度踏襲していますし、こちらもそれを折り込んだ上で安心して面白がることができます。でも舞城さんの作品だと、「なんでこれが面白いのか分からない(でも自分は実際面白いと感じている)」とか、「そもそもこの面白さがどういう面白さなのか分からない」なんて状況に陥ることが多々あります。こういう感覚をストンと言語化したものを一流の感想と呼ぶと思うのですが、それって自分で小説を書くのと同じくらいハイレベルな技なんですよね。いちおう感想サイトを名乗ってる身として、ゆくゆくは舞城さんの小説の感想が書けるようにならなきゃなあと思ってますはい。

*1:いちおう私の感覚では、作品そのものについて語るのが批評、作品を鑑賞した自分の反応について語るのが感想という風に分けてますが、両者は完全に別々に分けて語れるようなものでもないので、けっこういい加減な分類だとは思います。

*2:この感覚の妥当性自体も、けっこう怪しいものだと思いますけどね。

*3:「感覚を分析すること、そういう感覚を与えた作品を分析することも批評のうちだろ!」と言われるとそんな気もするので、タイトルの前提が瓦解しますねはい。