批評するより感想書くほうが難しいと思った舞城王太郎『スクールアタック・シンドローム』
私たちは私たちの倫理観のあり方にある程度の定型を持っていますけれど、それに満足しないのが舞城さんなのかなと思います。虐め殺されたところから始まる友情とか、惨殺され続けることで確認する愛情とか。これは? これは? という風に、舞城さんは一筋縄に受け入れられない倫理観のあり方を次々と提示してきます。
ただし、畸形的な形をしたその倫理観は多分、根っこのところで筋が通っています。だから私たちは、そこに強烈な違和感を抱きつつも、何かを自問せざるをえません。恐ろしいことだと思います。舞城さんの作品は、理屈をつけて分析するよりむしろ、思った感想をそのまま表現することの方が難しいなと思うことがあります。
「スクールアタック・シンドローム」
「ブフー」みたいな父子の笑い声が聞こえてきそう。舞城さんはいつも同じテーマを描いていますけれど、いつも違う描き方をするので飽きないのだと思います。
「我が家のトトロ」
トトロ評論。小説内評論というか、批評的思考ををそのまま小説表現に適用する試みなんでしょうね。表裏一体のものでありながらどうも逆走して見えることの多い両者が、ちゃんと並走している姿を見るのは気持ちがいいです。
「ソマリア、サッチ・ア・スウィートハート」
ある意味ループもの的な要素というか、やり直しというか、あるいは「みんな元気」にも出てきた「選択」の要素も一枚噛むのかもしれませんけれど、後半の展開がいろんなテーマをみっしり詰めてる感じで面白いです。舞城さんを代表するいくつかの要素が、複合的に仕掛けられた感じ。