ヤンデレが狂ってるんじゃない、作者が狂ってるんだ - 『唐傘の才媛』緋鍵龍彦

唐傘の才媛 1 (電撃コミックス)

 くるってる……。

 知る人ぞ知るヤンデレ漫画、というのが読む前の印象でした。緋鍵龍彦さんというちょっと頭のおかしいエロ漫画家さんがいるという話は聞いていたので、一般紙に媒体を代えてさぞやいいヤンデレが見られることでしょう……と期待してはいたんですがー。がー。

 ヤンデレどころの話じゃありませんでした……。

ヤンデレがなんぼのもんか

 ヤンデレはいまや一種のステロタイプと化していて、それ自体にはもう目新しさなんてありません。やたら刃物を振り回すヒロインとか、やたら人を殺して回るヒロインとか、そういうのは既に「異常性の演出」のためのお約束に成り下がっていて、それだけでは単なる予定調和の一形態にしかならないのです。「ヤンデレキャラがトチ狂って人殺すのはあたりまえ」なのです。

 だから本作の頭のおかしさは、単に「ヤンデレヒロインが出てくる」という要素を超えたところにあるはずです。ヤンデレの頭がおかしいというより、作者の頭がおかしいんですよこれ。

倫理がおかしい

「萌えキャラを萌えるように描くこと」が至上命題である点で、本作の基調にあるのは典型的な萌え漫画だと思います。でも、その「萌えさせる」ためのやり方が尋常ではなく。なんでそれを表現するために、その方向に舵を切るの!? という、思考のタガが外れたような作劇・展開が、本作にはずっと通底しているのです。

 ヤンデレヒロインのキャラを確立させるために人を殺すのは、前述したように累計の範疇です。でもそれだけが目的なら、ヒロインのぜんぜん関係ないところで人を殺す必要はないわけですよね。けれど本作では、舞台設定とか感情表現の都合のために、もっと機能的にあっさりと人が死にます。倫理に反抗しているのではなくて、倫理を華麗にスルーしている。そういう倫理の在り方自体が、ひとつの特異な倫理観を形作っています。

 なにより驚くべきことは、こういうぶっとんだ倫理に基づいて書かれていながら、本作が一貫して目指しているものが「萌え漫画」以外の何ものでもない点です。それも野尿やら何やらを好んで描く、かなり酷い部類の萌え漫画。あるいはもっと単純に、「ちょっと女の子の死ぬとこ描いてみたかった」とかそういう性癖も含むのかもしれませんが……何にしても、表現に際して「ある一線」を躊躇なく越えられる人ではあるのでしょう。