ピンボールの他には何もない世界 - とよ田みのる『FLIP-FLAP』
テーマはピンボール。ほとんどの読者がさっぱり知らないであろうマイナーゲームを主題としつつ、読み終わる頃には「そのゲームがやりたい」という気持ちにまで持って行ってくれる漫画です。それだけでも、本作の表現力は相当なものなのだと思います。
目的なき目的に没頭すること
本作は、無意味だけど楽しいことに熱中すること、の価値を繰り返し訴える漫画です。本作のヒロイン・山田さんにとって、ピンボールは何かを達成するための手段ではありません。彼女がピンボールを楽しむことはそれ自体が目的となっていて、これは一次的な動機だと言えます。
最初はピンボールをヒロインと付き合うための「手段」としていた主人公も、やがてはピンボール以外には何もない、一対一の世界に没頭していきます。「何かのために」ではなく「それ自体を楽しむこと」、その価値を描いたのが本作なのだと思います。こういった姿は非常に眩しいもので、そういえばいつの間にか本を読む時でさえ、「これを読んでおけばこんな時に役に立つだろう……」みたいな「意味」を念頭に置くようになってしまって久しいなあとか、自分の身を顧みさせられることもしきりでした。
それでも、たとえば私の場合、「うみねこの再読します」とか言ってひとつの作品に三桁時間もつぎ込みながら、ふと冷静になって「何の役に立つんだこれ……」とか思うことはあります。ただ「意味」を求めるなら、どんどん新しい作品を読んだ方が多分得るものも大きいはずですし、サイト更新だってはかどります。でも実際そうはせず、未知の書物を十冊読む代わりに、誰も得しないごくごく趣味的なことに馬鹿みたいな時間をかけているわけです。これが、つまりはそういうことなのかなあーとは、本作を読みながら思い知らされた次第です。
孤独の世界と仲間の世界の往復
前述したように、主人公は最終的に「他に誰もいないピンボールと一対一の世界」の域へと入っていきます。ただ、その周りではヒロインや仲間たちが常に待ってくれているということも、本作の見逃せないポイントだと思います。主人公が「一対一の世界」にまで辿り着くことができたのは周囲の仲間たちのおかげというところは間違いなくありますし、そういった主人公の心情は、仲間からお金をカンパされて「100円玉が重い……」と独白するシーンに何より強く表れています。
主人公は、自分だけでなく仲間たちの思いまでを背負ってピンボール台の前に立ちます。彼は自分の身ひとつで「他に誰もいないピンボールと一対一の世界」へと旅立っていくわけですが、対決が終わると必ず仲間たちの元へと戻ってきますし、そこで皆と喜びを分かち合いもします。海燕さんののこの記事にブックマークコメントで違和感を表明したのはその辺のところ。ロック・スミスやグリフィスの「他人を犠牲にし、どんな手段を採ってでも目的に至ろうとする漆黒の意志」と同列に語るのはちょっと無理があるのでは? という話でした。ずいぶん前の記事ですが、短いコメントしたままそのままになってたので、説明責任ということで。