奇妙な因縁が人をひとり殺す話 - G・ガルシア=マルケス『予告された殺人の記録』

予告された殺人の記録 (新潮文庫)

 町をあげての婚礼騒ぎの翌朝、充分すぎる犯行予告にもかかわらず、なぜ彼は滅多切りにされねばならなかったのか?

 1950年代頃のコロンビアのある町で、奇妙な因縁が人を一人殺す話。30年後に事件を振り返る語り手はまず冒頭で犠牲者サンティアゴ・ナサールの死について触れ、その詳細をルポ形式で群像劇的にまとめ上げていきます。

 名誉のための殺人、なんて言葉が使われているとおり、この時代この国この町の道徳において私刑は決して絶対の禁忌ではなかったようです。とはいえ、ほとんどの町人も、そして犯人たち自身すらも、この殺人を積極的に望んでいたわけではありません。何人かの町人は犯行を未然に防ぐためのささやかな手を打っていますし、犯人も自らの行いの行方を天に任せるかのように、わざといくつもの致命的な隙を残しています。そんな状況の中で、結果的にサンティアゴ・ナサールの殺人が成功してしまったのは、ひとえに彼の運が悪かったと言うしかありません。そもそも元をたどれば、犯人たちが凶行を決意し、その標的としてサンティアゴ・ナサールを狙わなければならなくなった成り行きすらも、悪い冗談のようにできすぎた偶然の代物として描かれています。

 悪い偶然によって殺意が生まれ、凶行を阻みうるはずだった数々の機会をするりと通り抜けて、なぜか刃が被害者に届いてしまった。普通に考えれば、この成り行きにはどこにも必然性などないはずです。にもかかわらず、サンティアゴ・ナサールの死は運命的で、どこか窮屈で淀んだこの町に必然的にもたらされた破綻のようにも思えます。結末が最初から予定されていたという視点で見直すと、この町にわだかまった様々な因縁が糸をたぐり寄せるようにしてサンティアゴ・ナサールの死を導いたようにも見えてきます。因縁、という言葉には仏教的な含みがあり、ニュアンスは違うのでしょうけど、あちらでもどこかで通じる感覚があったりもするのかな、と思いました。