キャラ紹介

 めっちゃ今さらなのですが、実はこの魔王城も最近人が増えてきています。日記と言いつつあんまり私事? について書くことがなかったので言いそびれていたのですが、今年はここの更新頻度も上げていく予定ですし、折に触れて同居人たちに言及する機会も増えるかと思うので、そのへん軽くご紹介しときたいと思います。

魔王(@varelico)

  • 私です。
  • 10年前からバーチャルネット魔王14歳とか名乗っているのですが、名乗り始めた当時ですらバーチャルネットアイドル文化なんてもうだいぶ下火だったので、今や完全に文化遺産扱いだし「魔王14歳です」とか名乗っても「は?」って返ってきたりするので傷つきますね。
  • キュトスの71姉妹の14女という裏の顔があります。こういうことがシラフで言えるのは長生きしてるアカウントの特権ですね(そうでもない)。14歳ですけど。
  • 「昔使っていた痛いハンドルネーム」が黒歴史文脈で語られる光景ってちらほら見かけるんですが、ずっと同じ名前を使い続けている私に隙はなかったし自分の名前に対する感性が完全に摩耗してしまいましたね。

下僕(@timetide)

  • 「からすとうさぎ」とかいう変な名前の私の下界活動用端末です。電波で操っています。
  • 労働、外交、社会などが苦手ですが、魔王城には日本戸籍を持つ人材が他にあんまいないので、労働、外交、社会などをやらせています。かわいそう。
  • 実地イベントやオフ会などでは私の代行として派遣することが多いです。動作性が低くもたついていることが多いかと思いますが、皆さまご寛恕お願いします。
  • これの読書メーターと私の感想の内容がよくかぶってたりするような気がしますが気のせいです。あと朝方の寝ぼけている時間などよく電波が混線するのでtwitterの発言とかが混じってたりすることありますが、こてもきっと気のせいですね。追求するな。

おもち(@mochimochimanju)

  • もちむら萬寿氏、下僕の妻上です。
  • 一昨年くらいに下僕が配を約せし者を連れてくるとか言い出したときは正気を疑いましたが、彼女はなんと日本戸籍を持って実在し、しかも徳と文化の高いおもちでした。
  • ちょっと前まで全然そんな話聞いてなかったのに天がステ振りを間違えたボトルネックの落とし子がごとき下僕になぜこんな都合良すぎるやろ何らかの人外邪法に手を出したのか許せんと問い詰めたところ「幻想再帰のアリュージョニスト読んでたらエンカウントした」と返ってきたので「さよか」と思いました(※アリュージョニストを読むと配ができる、一般性のある事象ではありません)。
  • おもちの加入により魔王城の文化レベルは☆1から☆4くらいまで引き上げられました。特に食事レベルが(コンビニ弁当をご馳走と感じる感性がなくなり味覚を得た)。
  • 私や下僕より文化範囲が広く未知のものを推してくれることがよくあるので、本選びや感想などこの日記にも直接的間接的な影響が表れてるんじゃないかなと思ってます。
  • なお協議の結果、下僕は私とおもちの共有使い魔という扱いになりました。

ザリス @xalicetanir

  • 自称食客の居候で世を呪ってばかりいる魔女です。ネットで検索すると彼女にまつわる神話伝承のたぐいがぽつぽつ見つかりますが、あんまりろくな話がなかったような気がしますね。
  • 活動率は低いですがたまにゆらぎの神話の話とかをさせています。働け。

そのほか

  • 魔王城なので魔王の家臣が大勢いるぞ(棒)。
  • 週一くらいでお迎えしてる詩人がおりよくDVDとか観てます。
  • 幻想再帰のアリュージョニストの話をほぼ毎日しており、最新話の更新があると大騒ぎになります。

 FGOとかハイローもそうなんですが、特にここ一年くらいで手を出した作品にはお餅さんからの推しがきっかけになったものが結構ありました。ここに書いてる感想とか、いつもまるで自分の意見みたいに書いてますが、けっこう周りの人の影響受けてるところもあると思います。まるっきり受け売りなこともあるし、その辺何も触れないのも心苦しいなーと思ってたので、一度しっかり書いてみた次第。なお明日から急に顔アイコン付きの会話形式ブログとかになったりはしないのでご安心ください。

感想:アリスインプロジェクト『真説・まなつの銀河に雪のふるほし』

 ちょっと時間が空いてしまいましたが、先々週くらいに観てきました。観劇はあまり経験ないのですが、以前2回観た『アリスインデッドリースクール』が良かったので、アリスインプロジェクト繋がりで観に行ってみた流れ。冷凍睡眠から甦った主人公を除く現生人類が滅んだ地球で、寿命20年のデザイナーズチャイルド、動物とのハイブリッド、AI、情報生命など、「旧人類」と似た姿をした少し違う人たちが地球外の人類と連絡をとるためのロケットの発射を巡ってあれこれする群像劇です。

 SF的なガジェットが沢山登場するのですが、そこの説明に拘らずにさらっと流していくのが、小説中心の人間としては新鮮でした。いちいち説明してたら時間が足りないのもあるでしょうけど、ロボットの人工知性が当たり前のように「個性」を尊重して奇矯な行動をしたり、滅びかけた肉体を捨てて情報の海で生きていくかどうかの選択を善し悪しでなく当人の「感じ方」の選択として当たり前のように処理したり、説明をしないことによって結果的に「当たり前」として扱われてていく諸々がなんか良いな、と思いました。

 群像劇の中で役者さんの演技を観る、という感覚がまだ上手く掴めていないので、ちょっと話の筋を追うことに注意が向きすぎたかもしれません。もう一度観ればもっと役者さんの演技に注目できると思うのですけど、公演期間が5日間と短く、よほどコアな人でないと何度も観に行くのは難しいので、「演劇の見方」というものをもっと身につけた方がいいのかもしれませんね。

面倒くさいオタクの私がEXILEのドラマにハマるわけがない(即落ち)-『HiGH&LOW THE MOVIE』感想


 というわけでテンションが上がっているので今回は語彙少なめでお送りします。

 先日ようやくBlu-ray版が出たので、劇場以来3ヶ月半ぶりに観返すことができました。1年前の自分に「おまえ来年にはEXILEのドラマにドハマリしてるぞ」って伝えても絶対信じなかったと思うんですが、見事に沼に落ちてしまいましたね……。昨年10月、「なんかTLの与太話勢がやたらハイローハイロー言ってて気になるからとりあえず1回観ておくか……」という曖昧な動機ではありましたしたが、上映最終日ぎりぎりの映画館に無理やり飛び込む判断をして本当に良かったです。

 劇場での鑑賞前は「EXILEの人がいっぱい出てくるケンカ映画」という雑な前知識しかなかったので、「ちょっとこういう強面の人たち苦手かも……」と及び腰な気持ちがあったのですが、TVシリーズを振り返るキャラ紹介・勢力紹介から始まる映画の冒頭から頭をガツンとやられてしまいました。「かつて、ムゲンという伝説のチームがこの一帯を支配していた。その圧倒的な勢力により、かえってその一帯は統率がとれていた」「だが、そんなムゲンの支配に唯一屈することなく、たった2人で互角に渡り合った兄弟がいた」 もうこの時点で既に私の知ってる現代日本を舞台とした作品とは認識できなくなって、変な笑いがこみ上げて来てたんですが、その伝説のチームMUGEMが解散して5つの新勢力が台頭する流れとなり、白ずくめの白い悪魔「ホワイトラスカルズ」、学ランのヤンキー集団「鬼邪高校」、赤いハッピでお祭りモチーフの「達磨一家」など見た目からして面白すぎる組織が次々とスクリーンに登場。さらに外部から忍び寄るヤクザや謎のラッパー集団など合計10の勢力を矢継ぎ早に紹介されて、ここまで来ると私の頭はもう頭が完全に「いろんな部族や種族が出てくるファンタジー作品」を観ているモードに切り替わっていました。

 で、本編が始まるんですが、冒頭の種族紹介があまりにもインパクト強くて分かりやすかったし、ストーリーは単純で、回想フラッシュバックとかもしつこいくらい入れてきてくれるので、TVシリーズの前知識がなくても全然支障を感じず観ていることができました。各種族の独特な価値観が面白くて、これがもう完全にファンタジー観てる感じなのですが、なによりアクションがもの凄い。めっちゃ爆発するし、めっちゃ痛そうな殴り合いしてるし、人が回転しながら宙を跳ぶし、大勢でスタイリッシュに取っ組み合ってる光景が遠景でしっかり映ってくる。CGのなかった時代の特撮映画を観てるような趣もあって、これどうやって撮影したんだろうとか考える余裕が今ならあるんですが、初見時はひたすら「ヒェ〜」みたいな顔で観てました。「数百人の人間が乱闘してる光景は面白いぞ」「人の頭をガラス瓶で殴るのはメチャクチャ楽しいぞ」「荒野をいかついバイクや外車で爆走すると阿呆みたいにテンションあがるぞ」などなど、語彙がなくなるような体験を2時間の間で大量に詰め込まれました。あの有名な「走る外車のボンネットに寝転がって登場する男」とかも観られましたね。最高ですかよ。

 EXILEには劇団が付属してるらしいし、要所要所で有名俳優を起用してたり色々あるとは思うんですが、基本的にEXILE一族はミュージシャン、ダンサー集団と認識しています。でも「素人っぽい演技で興が削がれる」ようなこと全くなくて、これも視聴後に気がついてその自然さに驚きました。人前に出て自分を見せる職業だからこうなるのか、そもそも素でこういうムーブができるのか、なんだかよく分かりませんが凄い。とにかく自然で勢いがある。あとラスボスポジションの琥珀さんがエモくてエモくて、この時点でTVシリーズ未視聴だったので琥珀さんとMUGEN、龍也さんやコブラ・ヤマトとの因縁とかよく分かんなかったのですが、琥珀さんの鬼気迫る迫力(この人もEXILE系の人と知ってびっくりしました)と、良い兄貴分だった頃の爽やかな笑顔に初見でやられたし、はい、語彙がなくなる。

 で、映画を観てあまりにテンションが上がったので、その日のうちにネット動画サービスに入会してTVシリーズをSEASON1、SEASON2と順に観ていきました。1回30分で、回想シーンやバンクシーンが妙に多い*1などちょっと変わった形式のドラマなのですが、その分の予算を全てアクションシーンにつぎ込んだような感があって、しかもどんどん派手になっていく。何十人もの乱闘シーンを長回しでスタイリッシュに撮るとか、なんでこれをドラマでやれるのかちょっと意味が分からないですね(映画版の戦闘はずっとそんなシーンが続いてたので完全に頭が麻痺してました)。

「仲間を絶対見捨てねえ!」とか「ケジメ」とか、登場人物個人個人の価値観は基本的に合わないんですが、これもファンタジー作品のキャラが「一族の掟は絶対」「一人殺された復讐のために百人が命を捨てる」とか言ってるようなものなので、ワハハと言いながら観ていられます。もうちょっと大きな話として、作品の要点らしい「楽しい時間を永遠に続けることはできなくて人は変わっていかなくちゃならねえが大切なものは変わらずに残るんだよ」くらいの話まで来ると、固有の文化を越えて私でも馴染める内容になってきますし、「せなやあ」という感じでエモい。唯一きついのが女性まわりの扱いなんですが、まあこういうのはオタクコンテンツに出てくる美少女キャラの扱いを見た文脈外の人が「キモッ」て反応するのと似たようなものと思えばいいんですかね……*2。あと琥珀さんと龍也さんの関係があまりにもエモくて、「百合だこれ! 分かったこれ百合だ!*3」「尊い!」とか大騒ぎしてました。港に並んでこんな時間がいつまでも続けばいいと心境を語り合っていた二人が顔を見合わせて「MUGEN」って呟いて最強のチームMUGENが誕生するの最高では? あと村山番長と不良キラーが不良になった轟がタイマン張る2期8話は最高。

 サントラも聴いてるんですが、これ最強のキャラソンアルバムですね。だいたい各チームに1つずつテーマ曲があって、しかも天下のEXILEが中心になってるわけですから音楽のクオリティが猛烈に高い。琥珀さんにはどう考えてもラスボスBGMである「Hell On Earth」というテーマ曲があって悪堕ち魔王感が半端ないし、じゃあ九十九さんにもバーサーカーじみたド派手な戦闘BGMがあるのかと身構えてたら「Maria」というエモい曲が流れ出して役者ご本人が「苦しいよ Maria 答えてくれ いつかは 報われるだろうか」とか歌い出すしMariaって歌ってるけどう聞いても考えても琥珀さんのことやんけいい加減にしろ!(頭の血管が切れて死ぬ) 最高のキャラソンです。

 そうやってハイローが完全に極まった状態で今回待ちに待ったBlu-ray版を視聴したわけですが、初見時と違ってキャラの因縁が完璧に分かるし、琥珀さんの背負った悲しみを既に知ってしまったし、九十九さんはチワワみたいにあまりに健気で終始悲鳴を上げていました。琥珀さんそれなりに俳優経験あるとはいえ本職ダンサーなのになんであんな表情できるんです? あまりにもエモくないです? 今夏の新作どうなってしまうんですか? というところで、あと半年以上どうやって新作を待てばいいのか途方に暮れているところです。

 とりあえず、以下の動画はTHE MOVIEの冒頭で流れた各勢力紹介の元になったらしき映像で、多少シンプルになっていますが初見でもおおむね雰囲気を掴むことはできると思います。なんか感じるものがあったらDVDか動画サービスのHuluあたりでTVシリーズを観るか、なんだったらいきなりTHE MOVIEの方に飛び込んでもいいかと思います。映画は現在2つあって、1作目の分かりやすい『THE MOVIE』と比べると2作目の『RED RAIN』は文脈のあるファン向けというか、比較的感傷的で落ち着いた作品なのでご注意を(重火器で武装したヤクザの根城に二人で乗り込んで素手で乱闘したりしますけど)。

*1:これはいきなり続きから観る人や、過去の経緯や伏線などを意識しながらドラマを観るのが苦手な人向けの作りになっていること、大勢の役者のスケジュールを合せるのが困難でバンクに頼らざるを得ないなどの事情があるのかなと思います。

*2:ノボルの彼女が身を引いた流れが美談みたいに語られてたのは流石に「ウッ」てなりましたが……。

*3:この「百合」は雑な用法です(雑な用法しか知らない)。

『りちょうとえんさん』感想

Erlkonig2017-01-15


「私は本とかゲームの感想が書きたくてはてなダイアリーを始めただけなのに、いつの間にかこういう漫画でゲラゲラ笑うアカウントになってしまった……。自分が悪いインターネットにこんなに深入りしてしまっていたなんて……」と身につまされる本でした(別にアフィリエイトブログとかやったことないですが自然と観測範囲にフレームインしてくるのなんなの)。この本の笑いどころが理解できる人と理解できない人、どちらが幸せなんでしょう……。

 李徴と袁傪の初出作品『ブロガー山月記』は本書より前の同人誌『ここは悪いインターネットですね』の方に収録なのでご注意。二人のBLぶりが良いんですが、特に李徴のデザイン神懸かってません? このキャラをこの容姿で描こうとした発想が分からないし、出されてみるともうこれしかないという感じだし、最高だと思います。あと扉絵がだいたい良い。たまに出てくるショタっぽいプロブロガー絶対CV:石田彰だと思うんですがどうですかね? おもしろかったです。

『Fate/stay night [Unlimited Blade Works]』

 原作の方は未プレイですが、アニメのUfotable版観ました。昨年1月から始めたFGOで私も遂にFateデビューして見事沼にはまったので、それじゃあ過去作品のことも一通り知っておこう(ただ原作を頭っから読んでいく時間を捻出するのはちょっと……)ということで、Zero、DEEN版セイバールートと観ていって、つい先日いわゆるアーチャールート? であるこのUBWを観終わりました。原作とは細かい描写や展開の違いがあると聞いていますし、文章で読まないと分からないきのこ節的な部分もかなりあるかと思うので「これでUBWのことはだいたい分かった」なんてとても言えないのですが、エミヤ、士郎、セイバーをはじめとした第五次聖杯戦争のキャラクターやその文脈を徐々に掴めてきたのは嬉しいことです。

 FGOのわがカルデアにはまだこのアーチャーが来ていないので、与太イベントで時折出てきたときの「小難しいこと言いながら世話焼いてくれそう」「なんか苦労してそう」みたいな印象がだいぶ強かったのですが、さすがにUBWの初期エミヤは相応の気難しさと執着を抱えた人物造形になっていました。当人にとっては一貫性があるけど文脈を知らないと意味の分からない独自の論理で突然襲いかかってくるこのアーチャー、気安く近寄り難いというかぶっちゃけ面倒くさい性格なんですが(そしてそれは士郎もなのですが)、十年来抱いてきたTYPE-MOONへの印象としてはこういうことろが「らしい」のかなという気持ちもあります。

 FGOもたいがいハイコンテクストで、やり始めの頃はそのノリに置いてけぼりにされるようなところもあったのですが、それでもそれなりに広い層向けに作られてはいるので、擦り合わせの余地のないピーキーな価値観を剥き身でぶつけてきて反応次第では即殺意みたいなストレスは、とりあえず味方陣営の人間関係では抑えられています。ただしそれはあくまで「作品の方向性としてソフトな方の表現を選んだ結果」という感じもあったので、このアーチャーみたいな殺伐とした感じにも「なるほど」という納得がありました。

 ラストの爽やかな笑顔はだいぶ吹っ切れた感じがあり、その後与太が積み重なってFGOみたいな扱いになるっぽいので「イイハナシダー」とか思ったのですが、たぶん本気で読み込むと実はいろいろ一筋縄でいかない的な話がまたぼろぼろ出てきそうだしFGOの1.5部も雲行きが怪しいので、やっぱり「苦労人だなー」あたりに印象が落ち着きそうです。あと「贋作」が「本物」に比類する的な話はFGOにも出てきていたので、エミヤ関連では度々言及されるテーマなのかなと思いますが、このへんアリュージョニストでも話の主軸にされてる問題意識なので、アのファンとしてはいっそう見る目に力が籠もってしまいましたね。

 アニメーションとしても綺麗だし戦闘シーンはすごく動くし、原作ではモノローグ中心に進んでいたであろうシーンにもうまく映像をマッチさせてアニメとして自然に見せてくれるなど、見てて飽きませんでした。クライマックスの固有結界の決戦とか、もう映画かって思うくらい凄い映像で(もしくは素人目にはそう見えるようなハッタリかましてた)、予算や工数を温存するかなんかしてこの決戦だけは全力以上の作画を投入できるよう前々から計画されてたのかな、と思うような出来。いいとこに作ってもらえて良かったなあという感想です。あとエピローグの凜の人可愛くてずるいですね。今後もApocryphaとかHeaven's feelとか複数のアニメが控えてるみたいですが、とりあえず全部抑えていくつもりです。

本日一信

 今日は特に内容のない日記です。

 昨年は同人誌製作など特定期間にガッと負荷をかけてそれ以外はぐだーっと伸びてる生活でちょっとうまくないなと思っていたので、今年はもう少し日常的にものを書いたり能動的に遊んだりしていければなと思っています。とりあえずだらだらしたものでいいので日記更新頻度とか上げていければと思うのですが、このところ読書感想とかもあまり上げてないし日記の書き方も忘れてしまいましたね。とりあえず今やってるゲームのまとまってない中途感想とか「今日の悪いインターネット」への言及とかしたらいいのかなと思います。

 あとそもそも長年はてなダイアリーやってたわりには文章を書くのがこなれないというか、時間あたりの文章量がかなり少ないとかあるので、もう少しその辺底上げしたいなーというのがあります。たまに一念発起して「よし書くぞ」って長文書き始めるとそれだけで数日、ヘタすると一週間以上そこに縛り付けられるとか一度ならずあったので、普段から鍛えて回転数上げないかんと思います。こうやってだらだら書けてるうちはいいんですけど、一回手が止まるとそのまま数十分フリーズとかいちばん多いパターンです。全体の構成とか考えてから一気に書き上げられる能力めっちゃほしいですね。

 とりあえず今やってるゲームはFGOとサガスカです。ポケモンも買ってます。アリュージョニストは常にアクティブです(みんな読んで)。三日坊主の強固な呪いを私が払うことができればまた何かしら書きたいです。それでは今年もよろしくお願いします。

与太話と呪術的思考の楽園 、『幻想再帰のアリュージョニスト』が楽しいという話

 クリスマスまでのアドベントカレンダーに合わせて毎日誰かがブログなどを書いていく文化があるそうで。私の周りでもゆらぎの神話・アリュージョニスト・アリスピ Advent Calendar 2016
というものが立ち上がったので、安直に参加させていただきました。ゆらぎの神話とかアリュージョニストに絡むなら何書いてもいいらしいので気軽にいきます。

 ゆらぎの神話・アリュージョニスト読者向けの企画ではありますが、せっかくなので今回はアリュージョニスト未読者でも読めるような書き方をして、紹介記事を兼ねたいと思います*1。アリュージョニストの面白さって色々な方向に伸びてるので、人に紹介するとき上手くテーマを絞れず散漫になってしまいがちなのですが、今日は「アリュージョニストは与太話をしていい土台が丁寧に作られてて楽しい!」っていう話をします。

与太話は楽しい、でも取り扱いが難しい

 まず一般論として、公の場で根拠も検証も乏しい雑な思いつきを断定的に吹聴するのは好ましいことではありません。雑な大きさの主語、雑な社会反映論、雑な世代論、雑な経験則、雑な業界裏話、雑な創作論、雑な時事ネタ、雑な教養。「何でも言ってみることで議論が深まる」的な主張も見かけますが、そんな思いつきがバズっても大抵は誤った情報が流布するだけですし、本当に「議論を深める」ために使われるはずだった識者の時間と労力は、既に決着が着いた古い話題やデマの解消のために浪費されていきます*2

 一方で、私は内面の良くないボンクラ種の人間なので、根拠も検証も乏しい雑な思いつきを考えなしに早口で捲したてるのはメチャクチャ楽しいぞ、という気持ちがあります。何かと何かのあいだに因果関係を見出す遊びはある種の人々にとって強烈な快楽があって、物語の楽しさってかなりこの感覚と関連があると思うのですが、快楽そのものを目的とする場合は事実関係が二の次になってしまいます。何かそれっぽい理屈を見つけて社会を切るのは気持ちいいぞ、という話なのですが、フィクション作品を深読みしてやたら理屈をつけたがる遊びもまさにこの一種です。こういうことする人間はどうにも周囲から煙たがられてそうなイメージがありますが、太陽や月はどうしてあるの? みたいな疑問に因果関係を付与する神話とかいう遊びは大体どこの文化圏でも昔流行っていたので、割と一般的な話でもあるのだと思います。

 今日び、特に日本では神話伝説のたぐいは概ね架空の話として扱われていますし、フィクション作品を深読みする遊びに本気で目くじら立てる人もそんなにいないと思います。とはいえ、「作者の意図はこうである」みたいな話になってくると「実在する作者」に関する「真偽」が問題になってきますし、歴史的事実とフィクションの境界についての認識なんて多くの人にとってかなり曖昧です。作品から作者・読者の欲望や現実社会の象徴を読み取ったり、歴史作家のもっともらしい話を鵜呑みにしたり、架空のキャラクターから受けた印象を現実の属性集団に対する認識に反映したりといった事例は日常的にいくらでも存在するはずで、フィクションとて現実から切り離された自由な楽園ではありません。

 デマとかたいそうな話までいかなくとも、ある作品についてあることないこと深読みして牽強付会な「意味」をやたらと吹聴するのは、本来あまり品の良いことではない、と思います。雑な読みを禁じる法などありませんし、作品の書かれた背景や作者の発言などの周辺情報で虚偽を述べない限り何をどう読もうと勝手なはずですが、品が良いか悪いかで言うと、一般論として多分あまり良くはない。ある作品が無茶苦茶な読解で話のネタにされていたら、作者も読者もそんなに良い気はしないでしょう。別にそれで構わない、と考えるファイターはもちろん好きにしたらいいのですが、むやみに人に嫌われたくないのであれば、人前で発言するときは慎重になった方が賢明です。

 ただしこれはあくまで一般論なので、むしろ作品そのものがそんな胡乱な概念の集積みたいな構造をしていて、深読みや思いつきの雑語りにものすごく相性いい作家や作風、そしてそんな胡乱な話題を大いに楽しんでしまうファン層というのが一部には存在します。いえ、それを雑語りと言ってしまうのは本当はちょっと違うかも知れず、雑な中にも外してはならない筋とか倫理みたい何かが作品ごとに(あるいは人ごとに)ある気がするのですが、そこはちょっと文章化が難しいので置いとくとして*3、つまり私のTLでよく「与太話」とか呼ばれてるアレの話がしたいわけです(とか言われても私のTL知らない人は困ると思いますがとにかくアレなんですよ)。

 最近の有名どころだとFGOとか忍殺あたりでこの手の与太話が大量に観測できて、実際に作者の中の人々がどう思っているかはともかく、大枠として「与太話していい文化」がファン層(の一部)の中で形成されています。多くのファンが集まってどんどん深読みを重ねていくという状況自体は『シン・ゴジラ』なんかも近かったと思うのですが、あちらはモノがモノなだけに現実の日本と照らし合わせて現実に接続した社会論的な文脈で語られることが圧倒的に多く、ここで言っている「与太話をあくまで与太話として積み重ねていく」感じとは少し毛色が違うものだったのかなと思います。そして、その些細な違いが、与太話を与太話として楽しむ上では大事なのかなとも。

与太話と呪術

 前置きが長くなって申し訳ないのですが、ここでようやくアリュージョニストの話になります。先ほど与太話ができる作品としてFGOや忍殺を挙げたわけですが、アリュージョニストもまたそういう土壌を培うことに成功した作品のひとつだと思っています。FGOや忍殺についても色々あると思うのですが、そっちは詳しい人が別にいっぱいいると思うので、今回はアリュージョニストの話をします(このあたりから私の喋り方が早口になる)。

 未読の方向けに紹介しておくと、『幻想再帰のアリュージョニスト』の舞台であるゼオーティアという世界は呪術の原理に支配されていて、「アナロジーの誤謬が物理法則を屈服させる呪術の世界」「似ているものは同じものである」といった表現で説明されます。ゼオーティアでは「それっぽく語られたもの」は実際「それそのもの」なので、比喩表現が現実を改竄し、認知バイアスが実際の因果関係を生み出します。この時点で私たちの暮らす「どんなにそれっぽくても違うものは違う」地球とは世界の根本法則が異なるわけですが、「それっぽい」「語り」によって世界が形成され改竄されていく性質は、ことさら「与太話」に適しています。というかゼオーティアにおいて、「与太話」は呪術そのものです。だって「深読み」によって何かと何かの間に因果関係を見いだせば実際そこに因果関係が生じ、なんかもっともらしい屁理屈を早口で撒くし立てて「それっぽさ」を演出できれば実際に現実を改竄できるのがアリュージョニストの世界なのです。

 ここが呪術の法則に支配されていない猫の国であることを除けば、私たちがTwitterとかで日常的に繰り返している与太話も同じ性質のものだと言えます。どんなに雑で根拠に乏しい思いつきでも、とりあえず勢いさえあれば呪術の法則に則って現実に作用しうるので、アリュージョニスト世界では呪術的言辞として一定の意味を持つ言葉になります。かくしてアリュージョニスト読者のTLには与太話が溢れ、「アリュージョニストの架空のアニメ感想をツイートし続ければいつか現実が改竄されて実際アニメ化される」とか、「アリュージョニストと女児アニメには様々な共通点があるからアリュージョニストは実質女児アニメである」とかいった胡乱な話が無限に生成されていきます。なお「アリュージョニストは実質女児アニメ」という呪文は実際に現実を改竄することに成功しており、今年の春頃から本編が地下迷宮アイドル活動編に突入しました。アリュージョニスト読んでくれ頼む。

 なんかアリュージョニスト読者のことを目玉グルグル回した狂人の集団みたいに説明してしましましたが、作品本編からして「キーボードをメチャクチャ早く叩くことによって凄腕ハッカー感を演出し呪的サイバー戦で有利に立つ」「アイドルがポーズをキメることで存在感が高まり呪的な爆発が生じて敵が吹っ飛ぶ」みたいな胡乱な描写がドカドカ出てくる話なので仕方ありません。こんな紹介の仕方ばっかりしてると悪ふざけの過ぎるギャグ小説みたいに思われそうでアレなんですが、この作品は「崇高なものと低俗なものの価値を転倒させて等しく並べる」展開を繰り返し描いています。大真面目な顔をして悪ふざけを繰り返し、あまりに異常な光景の連続に感覚が麻痺して謎の感動で笑えてくるのがアリュージョニストの面白さだと私は思っていて、まあつまりアリュージョニスト本編がそもそも高度な与太の塊なわけです。

 アリュージョニストには、はてな村の住民好みの悪いインターネット的な呪術も頻繁に出てきます。雑な議論を巻き起こしアクセスを稼ぎまくることで存在承認を得て強大な呪術師になるとか、捏造した伝統が広まって人々に承認されたら過去が改竄されて歴史的事実になるとか、それっぽい理屈でぶち上げた疑似科学は実際に効力を発揮するとか、批判意見を一切耳に入れない無敵のアカウントが自分の死すら認めず不死身の肉体で突撃してくるとか(大迷惑)。「見るも無残な地獄インターネットであった」みたいなパワーワードも出てくるので皆どんどん使っていきましょう。

 まあこの通りかなりアレな話題が多いアリュージョニストなんですが、呪術的思考があくまで呪術的思考と強調して描写されているのがこの作品のポイントです。認知バイアスや偏見、主語の大きな話題やゴシップが今もそこら中に蔓延していることから分かるように、呪術的思考は決して旧世界の遺物ではなく、21世紀の日本においてなお日常的に存在するものです。しかしアリュージョニストでは、そういう認知の歪みがいちいち「呪術的思考」として指摘され、その上で呪術世界の法則に従って現実に影響を及ぼします。逆に言えば、呪術的思考をすんなり現実として受け容れるのではなく、「あっこれ呪術的思考だ」と意識する過程がなければ、アリュージョニストの呪術描写は全く楽しめないわけです(ちなみに脳がアリュージョニストになってくると、現実の生活の中にも似たような呪術的思考が遍在していることに気がついて「あっこれアリュージョニストで見たやつだ」とか言い出す人間になったりします)。

 面白いことに、呪術の面白さを描けば描くほど、呪術の論理を強調すればするほど、現実世界においてそれは決して合理的な考え方ではなく、認知の歪みや詭弁に属する類の話だと裏付けられることになります。私もアリュージョニストの話題に絡めて益体もない与太話、明らかに理屈の捻くれた詭弁、筋の通らない冗談をTwitterや私生活で垂れ流しているのですが、こういう発言を与太話、笑い話として扱えるのは、アリュージョニストの「呪術」の枠組みがそこに一線を引いてくれているからです。身の回りのアリュージョニスト読者はだいたいこの辺の文脈を共有してくれてるので、アリュージョニストに関してはかなり胡乱度の高い与太話をしても許してもらえるのですが、考えなしに他作品を同じような手つきで扱うと、多分誰かに怒られるでしょう(まあ結局はそれを誰が聞いてどう思うかなので、その手の発言しても全然オッケーという場や人間関係を築けてさえいれば、特に支障はないのだと思いますが)。

楽しい与太話ライフのために

 そういうわけで、胡乱な与太話を自由に満喫できるアリュージョニストたのしい! という話でした。ただこいう話を「呪術はあくまで呪術、与太話はあくまで与太話」と割り切って枠の中で楽しむ分には問題ないのですが、はっちゃけすぎて枠の一線を越えるようなことがあれば、それは本当に単なる雑な放言になってしまいます。男性性を励起する社会呪術を行使するために行われる「テンプレ的な男根主義的ふるまい」の描写とかをはじめ、作中ではほとんどネタか呪的廃棄物みたいな扱いでも、その文脈から一歩外に出ると相当ヤクい取扱危険物と化す話題がアリュージョニストではいっぱい扱われていて、私たちが遊んでいるのはそういう危険な代物だということは肝に銘じておいた方がいい、かもしれません。

 こんな話をするのは、私たちに与太話の場を与えてくれているアリュージョニストの「呪術」の枠組みが、それ自体はかなり丁寧に「メチャクチャな話をしてもいいように」作り込まれたものだと感じているからです(別にそれを目的として作られたわけでもないでしょうが、結果として)。アリュージョニストというとても面白い作品が用意してくれた貴重な場を、不用意なやらかしで台無しにはしたくありません。特に、雑な放言のたぐいが文脈を越えてどこかに飛び火してしまうような事態は避けたいものです(そういう雑な言説に傷つけられ、立ち向かうような展開も、アリュージョニストは描いてきたわけですから)。

 なんか最後フワッとしたまとまりのない話になってしまいましたが、書きたいことはだいたい書けた気がするのでこんなところです。私はアリュージョニストで「与太話」という概念がようやく身についた気がしていて、それまでは作中世界独自の理屈とかを「設定」という側面でしか捉えられていなかったのではないかと思っています。たとえばアリュージョニストを読む前にFGOをやっていたら、「与太話」の感覚がよく分からなくて今みたいにげらげら笑いながら楽しめていたかどうか分かりません。この概念のおかげで特定種の作品を二倍、三倍楽しめるようになったと思うので、そういう意味でもアリュージョニストとの出逢いは素晴らしいものでした。冗談抜きで、視座がひとつ増えたという感じです。これからもどんどんアリュージョニストの与太話をしてきたいし、与太話のできる作品を見つけたら安直に手を伸ばし、与太の環を広げていきたいです。他作品の与太話勢におかれましては、これを機会にアリュージョニストの呪術と与太話にも興味を持っていただければなあと思います。

*1:普通に書いてても手癖でなんかそうなってしまったりする。

*2:一波乱起こして話題を集めた後は徹底してアフターケアに務め、寄せられた批判をまとめた上で誤情報の訂正をきっちり周知し、次の議論に繋げていくようなスタイルが有効なことはもしかしたらあるのかもしれませんが、こういう責任の取り方はそれはそれで多大な労力がかかるので、雑な話をただ連発してる人には当てはまりません

*3:ここいちばん大事な話な気もするけど説明できないので仕方ないのです。