『ひぐらしのなく頃に解 目明し編』まとめ(再プレイ10)

きゅんきゅん☆
新作が出る度に、確実に面白くなっていくのは凄いことだなあと思います。まあ相変わらず精神的に酷い展開が続いて心に良くないので、単純に「面白い」と形容していいものかどうかためらわれるところではあります。

本作では、登場人物の一人が狂気に陥っていく過程が克明に描かれます。出題編の頃も狂気を帯びたキャラクターはいたんですけれど、その恐ろしさは理由が分からないからこそ、理解できないからこその恐怖でした。ところが今回からの解決編では、そういったキャラクターがいかなる過程で狂気に陥るに至ったのかが、「理解できる」形で描写されるようになります。

 理解できない狂気というのは当然怖いものですけれど、理解したくもない狂気を実は自分の身近なものなのだと思い知らされるのには別種の恐ろしさがあります。もちろんその狂気は心で共感できるようなものではないんですけれど、少なくとも理屈として、頭では納得のいくものなのです。

今回から解決編ということで物語の舞台裏が徐々に明らかになっていくわけですけれど、謎の引っ張り方が上手なだけで真相自体はしょんぼりだ、という一時の印象が誤りだったことを思い知らされました。なんだ、物凄くしっかりしてるじゃないですか。

 ひとつひとつの事件についての個々の要素、たとえばトリックとか犯人とかアリバイといったお約束に注目するなら、ひぐらしは大した作品ではありません。けれどそういう局所的な見方でなく、「雛見沢の舞台裏」という大局的な視点でこの作品を眺めることができたなら、劇中でのそれぞれの要素が互いに有機的に影響し合い、絶妙に絡み合うことで大きなひとつの構造を作り上げていることに気付くでしょう。

 最初に大きな構造物を用意して、それをある方向から眺めることで、死角の部分が自ずと謎になるという物語の作り方。この手法のため、細部はともかく大局的な視点で全体を眺めたとき、その整合性は驚くほどしっかりとしているのです。謎を別個に用意して、それをストーリーの要所に配置することで物語を作り上げる、という方法で書かれた作品とは、構造全体の整合性という点で一線を画するでしょう。『ファウストvlo.5』の対談で、奈須きのこさんが「これは犯人当てゲームじゃなくて、雛見沢という現象を観測するものじゃないのか?」と述べられていましたけれど、この作品の性質を非常に的確に表した言葉だと思います。