『神菜、頭をよくしてあげよう』

神菜、頭をよくしてあげよう (角川文庫)

 実は三年間この日記やってきて[ESSAY]タグ使うの初めてです! どんだけー。

 執筆当時、2002年の大槻さんは36歳。「俺オーケン36歳独身」です。「筋肉少女帯」凍結から早数年、新しく結集したバンド「特撮」での活動にも慣れた頃というあたりでしょうか。

 ロックに生きる大槻さんですけれど、本書では彼の日常が大変ゆるい筆致で綴られています。そこに破天荒さはありますけれど、素人が「ロック」と聞いて安直に想像するような暴力的で排他的なイメージ*1はありません。大槻さん曰く、「行雲流水」と書いて「のほほん」。

 大槻さん自身の人生は決して、のほほんとしただけのものではかったはずです。タイでマジックマッシュルームを食べさせられて十年にも及ぶパニック障害に悩まされたり、バンド仲間や恋人たちとの人間関係でトラブルを抱えたり。それはどちらかというと、激動の半生と形容した方がいいものなのでしょう。

 それでも、こうやってそれらの経験を鷹揚に受け容れて、のほほんと冗談交じりに事もなげに語ってしまう大槻さんには恐れ入ります。苦しみを過去のこととして昇華したという感じではなく、今なお現在進行形でやってくるそれをのほほんとした態度で受け止めることで、苦しみと正面から対峙しようとする覚悟のようなものが感じられるのです。

 タイトルは筋肉少女帯時代の名曲「香菜、頭をよくしてあげよう」から。内容的な直接の繋がりはありませんけど、このエッセイの中で綴られる大槻さんの恋愛観を見ていると、やっぱり表題曲の歌詞と通じるものが根底としてあるんだなあと思います。

「香菜、いつか恋も終わりが来るのだから 香菜、一人ででも生きていけるように」という歌詞を最初に聴いたときは衝撃でした。一体どうすればこうまで優しく達観できるんだろうと驚いたものですけれど、本書で語られているような大槻さんの恋愛観を考えれば、そういう言葉が出てくるのも分かります。

 本来的にオタク系の青年でありながら、何かのはずみでロックミュージシャンになってしまった大槻さんです。「ライブの後はファンの女の子をお持ち帰り」みたいな会話が当たり前に交わされる世界で、それでも相手をただ切り捨てていくような真似ができない大槻さんが彼女らの一人ひとりに向けてあげられる、これが精一杯の思いだったのかもしれません。

*1:って私だけ? ←素人