『水滸伝(十一) 天地の章 』

水滸伝 11 天地の章 (集英社文庫 き 3-54)

 波間の章。随所に「暗殺」という言葉が登場する巻でした 。梁山泊側では、十傑集でお馴染み混世魔王樊瑞さんが「暗殺者」として公孫勝さんから大抜擢。青蓮寺側では、遂にあの史文恭さんが登場してしまいます。その役回りは、青蓮寺の放つ老練な間者にして暗殺者というもの。

 原作水滸伝公孫勝さんは強力な道士であり、樊瑞さんはその弟子でした。一方、北方水滸伝公孫勝さんは致死軍なる奇襲暗躍の秘密部隊の総隊長であり、樊瑞さんはその軍の中で 暗殺を請け負う部下という構図になります。

 公孫勝さんの操る道術を致死軍という暗躍集団に置き換える発想がまず面白かったわけですけれど、今回はその弟子で同じく道士である樊瑞さんに暗殺者という仕事が割り当てられて、なるほど今度はこう来たかと。原作をちゃんと読んでいる人は、こういうところでいちいち面白みを感じることができるんでしょうね。

 そして原作既読の人は、史文恭という名前を見ただけで、ああ遂にその時なのかというのが分かってしまうのかもしれません。つまりこのお話もそういう段階に来たわけで、全19巻の内の11巻が終わってしまいました。長い長いと思っていたこの作品も、いつの間にか中盤戦の山場にまで来てしまったんだなーと感慨を持たずにいられません。

「死ぬ運命にある者が死ぬのだ、その背を押してやるだけだ」的な暗殺についての捉え方が、実に北方さんらしいなあと思います。精神的マッチョというか。もちろん殺される側にしたらたまったものじゃないはずなんですけれど、北方さんの作品にはそういう精神的弱者にまで「強くなる」ことを 強いてくるような苛烈さがあるのだと思います。まあ、何せ「ソープへ行け」の人ですからね……。