『グランド・フィナーレ』

グランド・フィナーレ (講談社文庫)

 なるほど、こういう小説の書き方もありか、と目から鱗の落ちたような感覚がないでもなく。芥川賞だからというわけではないんですけれど、ストーリーから切り離した「文章」それ自体を用いて何かを表現しようとしている点で、意外と円城塔さんの作品に通じる読み方を要請されるようにも思いました。

 色々な表現がストーリーを補強してくれるにしても、最終的な解決はストーリーの部分で行われる。私なんかはついそう考えてしまうんですけど、本作にはそういう読み方自体が通用しない気がします。この作品のストーリーに意味がないわけではないですけれど、けっしてそれだけが中心というわけではないようです。

 批評的な技法というか、文体というか。そういうものを小説の中に織り込んで、文章表現として用いているのが面白かったです。「20世紀」なんかは、評論的な「解釈」がそのままムー的なオカルトの牽強付会に繋げられていたりして、冗談としてうまいことネタに使ってる感じ。「新宿ヨドバシカメラ」はかなりどうしようもないしょうもなさを漂わせてますけれど、これも試みとしては似たようなものなのかなと思います。

 あー、えと、あと亜美麻弥の幼女二人組みがもうアイマス亜美真美でしかイメージできませんでした。12歳だし。なんか名前まで似てるし。ニッポニアニッポンCCさくらやらおジャ魔女どれみやらをネタにした阿部さんのことですから、発表時期がどう考えても合わないと理解しつつも何かを警戒せずにはいられません。ひ、ひー。