感情移入"したくない"小説 - 佐藤友哉『水没ピアノ』

水没ピアノ 鏡創士がひきもどす犯罪 (講談社文庫)

フリッカー式』の主人公の言動は本当に気持ち悪くて、それは「責任転嫁」という一言ではとても言い表せない、表現しがたく類例を見ない見事に歪んだ感覚でした。いまだ端的な言葉では表現しえない、未知の世界の"気持ち悪さ"。私はそういったものを求めて佐藤さんの著作を読んでいて、そういう意味では本作の気持ち悪さってわりと「既知」のものであったかなと思います。

 これは佐藤さんが頑張って「気持ち悪い話を書こう」って力んじゃった結果、あのナチュラルボーン的な気持ち悪さが消えちゃったのかもしれませんし、そうでなく単に私が「佐藤さんの気持ち悪さ」に慣れてしまっただけなのかもしれません。この辺の"あの感覚"をもし自分で言語化するなり体得するなりして、表現することができたなら……という嫌な誘惑が心の中にあるんですが、正直誰も得しないし理性的に考えて抑えた方がいいんでないのとか思ったりです。ぐぐ。

 佐藤友哉さんの最高傑作として、本書を挙げている人は多い作品。その場合は、登場人物に感情移入して絶望を浴びるような読み方をした方がよかったのかもしれません。ただ正直なところ、この精神性に積極的に感情移入していくのは、今の私にはきついものです。彼らの世界を「観察する」くらいの距離感が、私にはちょうどいいところであるようです。