清涼院流水/大塚英志の分割線 - 『探偵儀式(VI)』

探偵儀式 (6) (角川コミックス・エース 109-6)

 完結。といっても、この漫画と対をなす流水さん本人の小説版が別に存在するようなので、最終的な評価はそちらも見てからと言うことになりそうですが。ほんまかいな。

 最後まで、荒唐無稽な展開で突き抜けました。ただ、この作品にとって荒唐無稽は当たり前のことなので、そういう意味でラストの「荒唐無稽一直線」な展開は逆に驚きが少なかったかなと。まともだと思っていたものがいきなりありえない方向に振り切れる、その転換の瞬間にこそカタルシスがあると思うので、特に速度も方向も変わらないまま当たり前のようにありえないことを描き続けた終わり方は、むしろ整然としたまとめ方だったように感じました。

 荒唐無稽さでは流水御大の原作に負けていない大塚さんのプロットですが、やはり両者の差異のようなものも見あたります。流水さんはミステリーに対して並々ならぬ執着のある人で、たとえそれがジャンルの定型を破壊するような無茶な方向に働くものであったとしても、とにかく強烈なミステリーへのフェティシズムを発揮させずにはいられない人でした。「推理しない記号化された探偵」みたいなことを言われつつも、ちょっとしたところで"正当な"推理小説ばりのよく出来たエピソードをさらっと挿入したりするところからも、その性質は窺えます。

 一方の大塚さんには、ミステリーに対するそういった偏執性が見あたりません。「百密室」とか「探偵儀式」みたいなガジェットを大量に出したとしても、それはあくまで必要から選び取った交換可能な小道具であって、執着の対象ではないようでした。だから、流水さんであればもっと得意げに真相を披露したであろう*1事件の真相についても、さらっと流して済ましてしまった、というところはありそうです。

 そこには大塚さんの「物語こそが作品の中心」という方針が垣間見えたようでした。登場人物の心情や伏線や設定上の謎、そういったものはメインとして語る対象ではなく、「物語」さえ完結させれば作品はその役目を終えることができる。あるいはその逆を書こうとしたのかもしれませんが、とにかく本作の中心に据えられたのは「謎」でも「探偵」でもなく、あくまで「物語」でした。「ミステリー」に執着する流水さんと、「物語」に執着する大塚さん。二人の作家の、そういう側面が見えたような気のする作品ではありました。

*1:といって、こっちは小説版の方でしっかり書かれてるのかもしれませんけど。