あまりにも強力な物語の祝福 - 宮城谷昌光『太公望』

太公望〈下〉 (文春文庫)
太公望〈中〉 (文春文庫)
太公望〈上〉 (文春文庫)

 初の宮城谷昌光さん。中国の仙道大戦的な伝説的小説『封神演義』の時代を、史実に軸足を据えて書いた作品です。『封神演義』はキャラクター含め大部分が後世の創作だったので、歴史ものとして書かれた商周革命はだいぶ印象が異なりますね。とはいえ、藤崎竜さんの漫画版『封神演義』の源流*1のひとつということで、いつか読んでみたかったご本です。

 やー、ここまで「物語」の強いお話はひさしぶりに読みました。まあ恣意的で強引な「物語」なんて探せばいくらでもあるんですが、本作の場合、そんな強力な「物語」を歪みも嫌みもなくごく自然に書いているところが凄いのです。

 本作は、主人公である太公望をどこまでも中心に据えた物語です。商王に一族を滅ぼされた若き太公望が諸国を遍歴しながら成長し、大成して商を討つ、というストーリーラインを、最後まで一歩もはみ出しません。太公望は物語に選ばれた存在であり、逆境も幸運も、作中で紡がれる出来事のほとんどが太公望(の物語)のためにあります。歴史小説であり、戦争を描いた小説なのに、太公望のまわりでは(寿命を除き)人がまったく死にません。死ぬのは太公望の敵か、太公望と縁がなく近くにいられなかった人間ばかり。太公望の物語に"乗った"人間は、本当に誰一人として戦死も事故死もしないのです。

 あまりにも出来すぎている、と頭では思うのですが、それが欠点だとは不思議と感じません。太公望の造型からして、神懸り的な才覚と霊験を持ち、作品の目指す価値観を体現する人物なのです。物語が太公望に寄り添うということは、神の定めた運命が太公望に寄り添うということです。普通だったら「ご都合主義」と解されてしまうような展開も、この世界観では太公望の徳や霊威に回収され、彼の崇高さをますます高める方向に働きます。

 私の趣味的には物語的恣意性の強い作品ってあまり好きじゃありませんし、史実や戦争を扱う作品ならなおさらです。とはいえ、ここまで嫌みなく徹底して「強い物語」をやられると、もう参ったと言うしかありません。こんな小説もあるのだなあと、度肝を抜かれた作品でありました。

*1:太公望の本名が呂望だったりとか。