『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』の感想をだらーっと書きます

 お、終わってしまった……。

 正直こんなに徹底的に終わらせにくるとは思ってなかったので、びっくりしました。綺麗な終わりというのとはちょっと違って、ある意味での引導を渡すような念入りな終わらせ方。そこまでせんでも……と思いましたが、25年引っ張って拡散し切った世界を終わらせるにはこのくらい執拗にやる必要があったのかもしれません。とにかく宙ぶらりにされる状態が長く続いたシリーズなので、私は終わってくれてよかったと思います。できれば10年くらい前に終わって欲しかったとも思いますが……。

 大人たちがようやく責任を取る姿勢を見せてくれて、正直めっちゃ今さら感もあるんですが、とにかくそこまで行ってくれたことがよかったです。一方的に思いを託して自爆するようなやり方でなく、ちゃんと応答のある引き継ぎが描かれるようになって、ようやくまともなコミュニケーションが描かれた感。シンジくんも含めて「落とし前をつける」ことが何度も強調されていて、それがシリーズを終わらせるという意味での落とし前とも重なりながら話の軸になっていたので、この一本に限って見れば作品としても一貫した作りになっていたと思います。一応、新劇シリーズ全体としてもちゃんとこの終わりに向かって進んでいて、Qでわちゃっと撹乱された状態からシンへの流れも続けて見ればスッと繋がると思うんですが、実際はその間の期間があまりに長く続いたので……。

 もちろん終わり方への不満もあって、こういう素直で円満な終わり方にどうやっても辿り着けなかったのがエヴァの作品性だったはず。そういうシリーズを終わらせるなら、単に終わるのではなく、これまで終われなかった理由を乗り越える何かを提示した上での終わりでないと十分ではありません。過去を乗り越えるため、詰め込める限りの様々な試みがされていたとは思うのですが、それでもやはり唐突に感じる部分はあって、「この人にこのセリフを言わせるのはまだ早いのでは?」「話を終わらせるために急に物分かりよくなってない?」とか引っかかるところはちらほらありました。もう限界まで上映時間を使っていたと思うし、前半の第3村だけでもやはりあれだけの尺は必要だったと思うので、どうにもならなかったとは思うのですが……。

 90年代当時は先鋭的に思えた作品性も、現代ではさすがに時代に追いつかれた感があります。無数のフォロワーを生んだ結果、25年の間にそのフォロワー自身に追い抜かれたところもあるでしょう。クライマックスで提示された結論にかつてのような先鋭性(に見えるもの)はなく、保守的とまでは言わずともかなりベタな着地点でした。まあ新規性はなくとも、25年の落とし前をようやくつけたという点では相応の落とし所だったのかなという風に捉えています。

 こういう形で完結を迎えたエヴァはこれまでのエヴァよりもある面で確実に格を落とし、言ってみればダサくなったと思います。でもここまで引っ張った落とし前をつける意味で、この零落はしっかり引き受けるべきだし、自分としてもそうなることをどこかで望んでいた気がします。このタイミングでこの先25年引っ張るようなメチャクチャ先鋭的なエヴァを出されても困りますし……(今度こそ死んでしまいます)。それでも映像的な部分では常に最先端のものを見せつけてくれていたし、どんどん無茶になっていく作戦とも相まって特撮技法を取り入れるというテーマにも成功していたと見えるので、諸々踏まえてようやってくれたという気持ちです。

 とにかく終わってしまったので、「終わってしまった……」と数時間おきに呻いています。完結編と銘打ったところで、今さらそんな簡単にエヴァを終わらせられるかいなと疑っていたのですが、まあ終わってしまいましたからね……。当然こんな終わりに納得のいかない人もいて、これからも終わらないエヴァンゲリオンに苦しみ続ける難民は現れると思うのですが、もう公式から新たな終わりが提示されることはないと示されてしまった以上、少なくとも態度の取り方は変わってきそうですよね……(それは何も良いことではなくない?)。

 エヴァのことなのでコラボやらスピンオフやらは今後も何かと続くと思うんですが、一区切りついたことで今までよりは屈託なく見られるような気持ちになってきました。並行世界のエヴァとか並行世界のネルフとかが雑にガシガシ出てくるエヴァの大型ソーシャルゲームって今こそ頃合いだと思うので、大量の予算注ぎ込んで出してみたらいいんじゃないでしょうか(絶対に手を出さないぞ〜の気持ち)。

そのほか細かいこと(こっちの方が長い)

  • あんまり積極的に前情報仕入れてなかったので、ジェットアローンどころか冒頭12分がだいぶ前から公開されてたのすら知らなかった……
  • ケンケンの声が聞こえて、トウジの顔が映った時のものすごい安堵感
    • Qから9年間張り詰めていた、自分でもあまり意識していなかった緊張感が一気に緩んだ瞬間で、思わず深いため息をついてしまった
  • アスカとケンケンのシーン全般が良い
    • 信頼はあるけど依存はしない、いい関係が築けているように見える
    • 旧シリーズの頃から他者性を象徴する役割を与えられ続け、新劇で一人で立つ生き方を強調されていたアスカにとっては、これがいい落とし所だったと思う。昔から意識的に求めていたわけではなく、たどり着いたところという感じだけど
    • 立ち直ったシンジに対して開口一番「ケンケンの役に立て!」が出てくるのが良い
  • それにしてもアスカ……
    • 宮村さんがQのインタビューで傭兵や武将のようにアスカを演じたと言っていて、この解釈はすごくしっくり来る(綾波武人説とかよく聞くけど、アスカはもっとストレートにそう)
    • アイパッチは夏侯惇とか伊達政宗っぽいし、リデザインされた2号機頭部も兜の立物っぽい
    • 青くさくてエリート意識の強い天才新兵が、14年の激戦を生き残ったことで泥くさいベテラン戦士にならざるを得なかった。メンタル状態がどうあれ、もうそんな理由では止まれない人間になってしまっている
    • 片眼を失った(ように見える)のが象徴的で、完全無欠のエリートであらねばならないというアスカのアイデンティティはもう挫かれてしまったのだと思う。だからQ以降のアスカはマリとはまた別の理由で自損を厭わないし、平気で不恰好な姿*1になり、認められるためでなく勝つため、仕事を全うするために闘う*2
    • アスカの重要な核だったエリート意識がすり潰された結果、3号機起動実験前にミサトに語った「人といるのは自分に合わない」とかの自己認識が最後に残った感じがする
    • セリフを確認してみたけど、やはり「人といるのも悪くない(けど自分には合わない)」→人といたい奴がいるならエリートの自分が孤独を引き受けて守ってやる、という流れで3号機に乗ってる
    • シンでも、第3村の人間らしい営みは自分には不要だからと、彼らの中に混じらず彼らを守るために闘う。一貫してる*3
    • 起動実験前のミサトとの会話は「人といるのも悪くないから、これからはそういうことも楽しもう」という流れなんですが、この後全てがメチャクチャになってしまったからそれは叶わなかったんですよね……
    • 心を擦り減らしてしまった結果ではあるし、幸福な状況とは言えないけど、人格を確立することには少なくとも成功していて、そういう生き方の中で距離感を保ちながら信頼して付き合える相手が同じく自立した大人で第三村とも少し距離のあるケンケンだったんですね……
  • 新劇の序では家出したシンジくんとケンスケの会話シーンがオミットされてたけど、今回時と場所を変えて改めて長尺で再演された風にも見える
    • そういえばトウジがシンジ殴った時もケンスケが間を取り持ってた
  • 第三村は大災害後の世界を懸命に生き抜く普通の人たちが、所帯を持って農業をやって、というある種の保守的な光景が繰り広げられたけど、シンジもアスカもそこでは異物なわけで、このへんの描写から「お前らもいい加減所帯を持って地に足のついた労働をすべき」みたいなメッセージは読み取る必要はないと思う……
    • むしろ、そういう生き方に暖かみを感じつつも辺縁から眺めるしかない人間の視点がやはり中心なんですよね
  • 仮称アヤナミレイが可愛い
    • なかなか立ち直れないシンジくんを尻目に彼女がどんどん人間性を培っていくのだけど、その期間が結果的にシンジくんの立ち直りとリンクしていて、無駄な足踏みの時間に見えない
    • 働く概念を知ってあなたは働かないのって聞きまくるレイ、ゲンドウくんがばーさんばーさん言ってたのをナオコ博士に聞いてばーさんばーさんを連呼するレイ、そういうこと?
  • カヲルくんの死と比べてレイの死に対するシンジくんの反応は演出的に淡白に見えるけど、人の死に立ち会ったとき泣くのでなく行動するようになった変化が端的に示されたシーンなので、これでいいと思う
  • ニアサー、サード、WILLE設立、渚司令あたりの出来事なんも理解できてませんが、こういう設定周りはそのうち誰かが整理してくれると思うのであまり考え込まないようにする……
  • 本当に親のことを黙ってるつもりなら親と同じ名前つけない方がいいと思う!!!
  • 特にほかに絡みの描写のないミドリとサクラが、シンジに対する発砲シーンでだけちょっと通じ合ってる感じで「もういいよ」ってなるの、一瞬の尺で関係性が浮かび上がる表現で良い
  • ミサトさんはQの時点でシンジくんと正面から向き合える大人にはなっていて、でも今度は状況や贖罪意識がそれを許してくれていなかった、というところが今回訴求的に確認できて安心した(不器用なのは相変わらずだけど、最後に間に合うのが偉い)
    • 旧劇と同じくシンジくんを庇ってお腹を銃撃されたものの、なんかそれほど致命傷ぽくはなくて、最終的には自ら別の死に方を選んでるので過去を乗り越えた感ある(旧劇も直接の死因は銃創ではなく爆死やろとか言わない)
  • 躊躇なく発砲するリッちゃん、旧劇では迂遠にやってしくじりましたからね……
  • ゲンドウくんに付き添いつつ自分のやりたいようにやった冬月先生、今回のMVP
    • 考えれば考えるほど良かったのが冬月先生で、自身の願いを持ちつつもそれをやり遂げるのは自分ではないと思い定めてゲンドウくんにやりたいようにやらせ、気合いでL結界に立ち続けて全てのお膳立てをきっちりこなしたところでやり遂げた顔で自壊する。マリや加持さん以上に自分の意思をまっとうしてたのでは?
    • シンジくんとゲンドウくんの対話の糸口をQの時点で開いてたり、マリへの置き土産(ですよね?)としてエヴァシリーズ(エサ)を残していってたり、あくまで人に託すというスタンスでありつつも本当にやりたい放題やっている
    • 貞本版読み返してたら「心の中で碇のことをあざわらっていた、すまなかった」みたいなこと言ってて、そういう諸々も踏まえつつ今回の冬月先生に至ったのかと思うと味わいが深すぎる
    • これだけやっといてシンの中でほとんど唯一旧劇と(見た目上)同じ死に方をした人でもあり、自身自身を置き去りにしてでも碇を辿り着かせることを是とした風にも見えますね……
    • 私は好きにした、君らも好きにしろ
  • サイクロプスとかオプティックブラストって言われすぎたせいか本当に単眼巨人になってしまうゲンドウくん
  • エヴァに乗ってどつき合うシンジくんとゲンドウくん
    • この親子が正面向いてぶつかり合えばエヴァは終わる、それ自体は旧シリーズの頃から多くの人が思っていたはずだけど、それがどうしてもできなかったところにエヴァエヴァっぽさがあったので、今回ベタな着地を見せたことに関してはエヴァエヴァであることをやめてしまったような寂しさはあった
    • それはそれとしてエヴァに乗ってどつき合うシンジくんとゲンドウくんが見たい! という気持ちがあったのも間違いなく、ひとしきり暴れた後に「話し合おう」とか完全に正しいこと言い出すところも含めて「こ、こいつら〜〜!(今さら!)」って身悶えしてた
    • とにかくこの二人の正面対決いう概念自体が都合のいい夢の光景すぎたので、本当にそれを見せつけられてキツネにつままれたような気持ちになった
  • シンエヴァは全編通してかなりそんな感じ(見たいけどエヴァでは見れんでしょって諦めてたベタなシーンの詰め合わせ)
    • お茶の間サイズのエヴァとか完全にいちびってて「この辺で変な絵面を出してシリアスなだけのエヴァをぶち壊してやる」という謎の気合を感じた
    • 綾波の部屋で槍を突き合わせる碇親子の絵面は最悪
    • 遂に手の内をベラベラ解説するタイプの悪役博士キャラをやれたゲンドウくん、相当気持ち良かったと思う……
  • 知識とピアノだけが心の支えだったゲンドウくん、いくら何でも面白すぎる
    • 設定としては初見の話が多いはずなのに「あー知ってたわーそんなことだろうと思ってたわー」な気持ちにさせられるゲンドウくんの独白ラッシュ
    • なんかちょっと可愛くなってるし。もっと人相悪くなかった???
    • 回想内でゲンドウくんにめっちゃちょっかいかけるも全スルーされてるマリ
    • 何もかも丸裸にされた碇ゲンドウ、25年のツケをいちばん払わされてたけど、まあどう考えてもいちばん払うべき人物でしたからね……
    • プラグスーツ着せられなかっだけでも温情
    • ゲンドウくんからシンジに渡り、カヲルくんと2人のレイを経て再びゲンドウくんに戻るS-DAT。この環の中にアスカがいないのも、まあそうですよね……
  • ネオンジェネシス、びっくりするくらいベタなタイトル回収でエヴァンゲリオンに止めを刺しにきた
  • テンポよくサヨナラしていくエヴァンゲリオン各機、途中からよくわからんのがポコポコ出てきてシュール
  • エヴァのない世界やら28歳のアスカやら終盤のあれこれはあんまり読み解けてないのでまた見て考えます
  • 旧劇をイメージした絵面がめちゃくちゃ出てきて嬉しい
    • 甘き死よ来たれPVの印象も遂に上書きされてしまった
  • 相変わらず実写演出はあったのだけど、旧劇とは意味合いがだいぶ変わってましたよね
    • 鑑賞者に現実をむりやり見せつけてくる感じがあまりなくて、むしろ作中の人物が現実との垣根を取り払ってこちらに渡ってきたような印象
    • この辺の細かい読み解きもエヴァンゲリオンイマジナリーとかの設定的な絡みを理解する必要がありそうなので、まあ保留
    • 何にせよ、旧劇の「現実に帰れ」とか言いながら虚構の中で現実の復讐をしていくスタイルはそれこそ大人のやることではなかったので、その辺の落とし前もつけに来た感はありましたね
  • 生々しい巨大綾波は演出意図はよく読み取れなかったけど……
  • ラストの駅のホーム
    • それぞれの行き先、ホームのこっち側とあっち側とかに注目しろってことなんだろうけど一回見ただけだとわりとうろ覚え
    • このシーンを「公式がカップリングを固定してきた!」みたいな読み取り方するの、いくらなんでも……(カヲルとレイに至っては広義のカップリングですらなくない?)
    • まあわざわざシンジくんとマリをあんな風に絡ませたんだし、「いい加減カップリング論争やめろ」的な意地の悪い含みを読み取ること自体はそう外れてもいないかも
    • いろいろ唐突に感じつつも、もう自立して歩き出したキャラクターが視聴者の預かり知らぬところで自分の人間関係を築いている、という光景はわりと気持ちよかった(アスカとケンケンの関係とかも含め)
  • たぶんもう何度か見に行くと思いますが、時節が時節なのでしばらくは間を開けようと思います。その間に旧の方を見直しますかね……

*1:下着姿、ツギハギだらけのプラグスーツ、ジェットアローン面積の方が多いゴテゴテ改修ニコイチエヴァ

*2:学生時代はエリート帰国子女とスクールカースト下位の関係だったケンケンと親密になっているのも象徴的ではあるけど、この見方は意地が悪すぎるのでせめてカッコに入れたい。アスカとケンケンで見るべき要素は圧倒的に別のところにあるので……。

*3:3号機に乗る役目を代わったことでトウジのことも間接的には救っているし、トウジが死ぬとシンジとケンスケの友情が壊れる(貞本版)ので第3村でシンジが立ち直る要素が揃わなかったはずで、みたいに縁を辿ることもできる。