中二病のブレイクスルー『ピーターパン・エンドロール』

ピーターパン・エンドロール

現実の世界に実感が持てず、虚構に惹かれる主人公。そんな主人公の前に現れた、不思議少女「旅人さん」。虚構の象徴のような彼女に対して、しかし主人公は強い「実感」を抱いてしまいーという云々かんぬん。

ああもう、快哉を叫びたい気分です。いえ、別に驚いたりはしませんよ? 日日日さんはやればできる子だって知ってましたからねーうひひひひ。

やー、でも日日日さんも本当に成長しましたね。デビュー作の『ちーちゃんは悠久の向こう』と比べると、その差は歴然。このあいだ白翁さんのところで日日日さんだってこの二年でちゃんと成長してますよ! 3ミリくらい!」とコメントしたんですけれど、これは訂正します。本当に、ちゃんと目に見える形で成長してくれました。小説技法の上達は当然として、テーマ的にもしっかりとした成熟が見られます。

ちーちゃんは悠久の向こう』は典型的な中二病小説でした。主人公の一人称には達観したフリをした世の中への不満と怨嗟が渦巻いていて、それは作者である日日日さんの意識そのものだったといえるでしょう。それは確かに若者のナマの声ではあるんですけれど、無意識に滲み出る悪意には共感するより辟易する人の方が多かったことと思います。

実のところ、本書で描いているものもやはり中二病的な思考です。ただし今回は、『ちーちゃんは悠久の向こう』と大きく異なる点があるのです。それは、日日日さん自身が意識して中二病を描写しようとしていること。

この作品は日日日さんが「当時の自分たち」の思いをトレースするようなかたちで描かれています。そしてその思いに対して、今の日日日さんなりの結論を与えてもいます。作者のこの視点の違いが、ふたつの作品に決定的な差を与えているのです。

作品のモチーフとされている、「ピーターパン」のお話が非常に利いています。「ピーターパン」といえば分かる人には分かる有名なネタがありますけれど、つまり本作ではそういった二面性が実に上手く使われているのです。これがちょっと出来過ぎなくらいにはまっていて、日日日さんのこれまでのアイデアの中ではたぶん最高級のもの。あの日日日さんが、と驚くことしきりです。

とはいえ、本の間に挟まっていたインタビューチラシなんかを見てみると、やっぱりまだまだ抜けてないなあとか思ったりもしてしまいます。後半で喋り口がやたら偉そうになったりとか。とりあえず今後にも期待させてもらいます。