『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』が『涼宮ハルヒの憂鬱』の裏面に見えたりした話

砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない 下 (2)
砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない 上 (単行本コミックス)

 凄いものを読んでしまったという感覚があります。原作は発売当初に読んでたんですけれど、あるいはそのときの衝撃を上回るものを感じてしまったかもしれません。漫画表現に原作を凌駕するものがあったのか、受け手の私の方が変化したのかは分かりませんけれど。


 この作品は、何かを強烈に訴えかけています。でもそこには、容易な解釈に落とし込めない抽象性の高さが存在します。

「自分より不幸な少女」の存在にアイデンティティを揺さぶられる主人公。主人公を置いて一人で先に大人になってしまい、けれど海野藻屑と何かを通じ合わせる花名島正太。神が落ちて人間に戻る兄・友彦。「生き残った子だけが、大人になれる」作中に散りばめられるこういった印象的な要素は、桜庭さんの確固とした世界観に基づいて生成されているように思えます。

 ただ、その世界が具体的にどのように仕組まれているのか、作品に直接描かれることはありません。つまり一種の、ブラックボックス。桜庭さんの作品にはいつも、そんな読者に挑戦するような読解性があると思います。この世界観はおそらく桜庭さんの著作全てに通底していて、そこをしっかり読み解くことができれば彼女の作品はますます面白く読めるんだろうなあということを思います。


 冒頭、藻屑さんがクラスメイト全員の前で自己紹介する姿が、涼宮さんちのハルヒさんにダブって見えました。「砂糖菓子」に縋ろうとする二人の姿勢が重なったわけなんですけど、片や砂糖菓子が承認される世界、片や実弾が飛び交う世界。その後の展開はまさに真逆です。もしもハルヒさんが実弾飛び交う留保なき現実に産み落とされていたら、そこには藻屑さんとよく似た姿をしたかわいそうな女の子がいたのではとかろくでもないことを考えてしまいましたのことよ。