真に"残酷"な世界の在り方 - 北村薫『盤上の敵』
この世にどうしようもなく存在してしまう鮮烈な悪意と、それに立ち向かうたったひとつの物語。それは決して、単なる「美談」として肯定的に解釈できる戦いではありません。そうあらざるをえない、という"残酷"を描いた作品です。
本作、作者が前書きとして警告文を載せるほどに、残酷な物語です。ただしその残酷さは、ド派手でおげげえーという感じの分かりやすい残酷さではありません。だから、「悪意」や「残酷」といった惹句に誘われて本書を読んだ結果、肩透かしを食ったという人が多いのかもしれません。
実のところ、本書で描かれる「残酷」は、そういう派手さとは正反対のものです。いっそ"澄み切った"と表現した方が近いくらいに純粋な、鋭利な「悪意」そのものです。それはすれ違いざまに針をひと刺しするような静かさを有していて、周囲の人には何の異状も感じられません。あるいは針が細すぎて、突き刺された当人ですら、最初は何が起こったのか理解できないかもしれません。ただしその針は、致死性の毒を確実に心臓まで送り届けているのです。
そういう悪意が、この世にある。たしかに存在してしまうという理不尽の指摘が、本書の恐ろしさなのだと思います。だから北村さんは、本書の前書きで「戦争」「打たれる者と打つ者との原始からある闘いの図式」という表現を使いました。そして、そういうものに立ち向かう時、「打たれる者」はあのような方法で立ち向かうしかない。そういう世界の在り方こそが、本書で描かれる真の"残酷"なのだと思います。