『泰平ヨンの航星日記』

泰平ヨンの航星日記〔改訳版〕 (ハヤカワ文庫 SF レ 1-11)

 航星日記。といっても、ワープやら波動砲やらといった超科学はあまりなし。人間のアイデンティティを脅かすミもフタもない物理現象、あるいは人類の慣習や倫理観から外れた文脈に存在する異生命たちの社会や生態、等々々。

 大地に自生する家具やら、凶暴化したじゃがいもに関する哲学諸派らの論考やら、本書は一見すると奇想いっぱいのホラ吹きユーモアSFです。落ち着いた筆致でありながらとぼけた感のある訳文とも相まって、一級の笑い話として読めることでしょう。実際、めっぽう面白いです。

 ただレムさんの場合、それらのアイデアはただ突飛なだけではなく、人類的な思考の枠組みを超えようとする思索の果てに、必然として立ち現れてくるものでもあるようです。ロボット社会の信仰問題とか、高度な自己選択を保障された自由意志の行き着く先としての身体改造とか。様々な教養に裏付けられつつ、その延長線上"ではないところ"に視座を飛ばして物事を裏から見る試みの豊潤さです。

 人間が、人間であること自体によっていかに思考を束縛されているのか。彼の著作からは、それ強烈に思い知らされます。いつも手元に置いておいて、折に触れてぱらぱら眺めることで思考の刃を研いでおきたい。私にとって、これはそういう種の作品です。