『アムリタ(下)』

アムリタ〈下〉 (角川文庫)

 基本的に上巻と同様の感想。今巻ではよりストレートなオカルト要素が増えましたけど、感覚・認識面の特性がいきなりオカルト方面に飛んでいったのではなくて、舞台に上げる描写の対象をそっち側にシフトさせただけかな、と。むしろ、そういうストレートなオカルト要素よりも、もっと抽象的なところでの世界認識の仕方がすごいな、もっと言えばやばいな*1、と感じました。

 UFOとか超能力者とか霊魂とかは、「事実/虚構」の文脈で語れる具体的な「現象」の話であり、まだ同じ舞台の上で話ができます。でも、「世の中に起きる現象全てには意味があり、意味によって世の中の現象が生じている」というタイプの認識に対しては、たぶんそいういう議論が通じません。有り体に言って無敵です。

 人間は、世の中の現象に「文脈」を見出します。「喧嘩した後に感動的な形で仲直りをすることで、二人の仲は喧嘩する前より強固になった」という文脈。「恋人からもらったペンダントのおかげで、銃撃されたけど無事だったぜ」という文脈。でも、これらの文脈は人間が勝手に見出しているものであって、"文脈が事実を支配している"わけではありません。仲直りしたと思ったけどそれは勘違いだったかもしれないし、銃弾はペンダントを貫通して心臓に達するかもしれません。

 そういう文脈の力を、でもナチュラルに信じてしまえる。それが本作の主人公の「世界認識の仕方」だと思います。もちろん、上記したようなベタなお約束や生存フラグを信じているわけではありません。でも、彼女自身が実感として持っている独自の「文脈」があって、彼女はその作用をごく当たり前のように信じている……というか、遠心力*2のように「感知」できているのでしょう。*3

 そういうのってどうなの、と疑問を呈する向きはあると思いますし、ちょっと扱いづらい範疇の問題なのですが、小説作品について倫理的な是非を問うのもナンセンスだろう*4、ととりあえずは思います。実際、本作は「特異な世界観を描く」という小説の役割をこの上なく高い強度で果たしています。非常に興味深い「小説」でありました。

*1:「うおお兄貴マジスゲーっスよヤベーっスよ」的なノリ。

*2:知っての通り遠心力は「見かけ上の力」ですけれど、回転している本人にとっては「遠心力を感じている」としか言いようがありません。

*3:人ごとみたいに書きましたが、人間誰しも無意識のうちにある程度「文脈」に依存しているという面があると思います。とりあえず、それはまた別の話。

*4:作者である吉本さんはどうなの? という疑問が脳裏にちらつくのがアレですが、ご本人についてよく知らないので特に意見はありません。